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戦後に建てられた米軍ハウスや文化住宅のような、築年数の古い平屋を「FLAT HOUSE」として、数々のFLAT HOUSE本を刊行してきたアラタ・クールハンドさん。

近年は、福岡と東京の2拠点で平屋住まいをして、この夏には『FLAT HOUSE LIFE in九州』も刊行されました。

アラタ・クールハンドさんが福岡・西戸崎で貸し出しもしている「FLAT HOUSE villa」で話をお聞きしてみると、その住まいの選択はライフスタイルに直結していました。


アラタ・クールハンド
東京都出身。2009年に『FLAT HOUSE LIFE』を発刊。翌年には1冊でひとつの平屋を掘り下げた『FLAT HOUSE style』シリーズを自費出版。『月刊シティ情報ふくおか』で「再評価通信」を連載中。『YAHOO! 不動産 おうちマガジン』の連載も(→https://realestate.yahoo.co.jp/magazine/)。イラストレーター、文筆家。

#1 キミは家とのお別れ会を開いたことがあるか? New!
#2 フラットハウスと団地
#3 まずは仕事をやめてください
#4 ちょっと海まで行ってみませんか

#1 キミは家とのお別れ会を開いたことがあるか?

―アラタさんのフラットハウス体験はどのあたりから始まってるのでしょう。

アラタ:幼少時代に住んでいた山口県宇部市の平屋が原体験ですね。砂場やブランコのある庭やガレージが付いていて、キッチンにはカウンター、床はリノリウム張りの米軍ハウスのようなテイストの家でした。そこでの暮らしが原風景として強くあります。

ー幼少期の思い出がすでにフラットハウスなんですね。

アラタ:大人になってからは、僕がまだ会社員だった25歳くらいの頃、福生の米軍ハウスに住んでる友人たちのところによく遊びに行ってたことが強く影響しているかと。みんな遊ぶように暮らしていてね。普通の人が見たらなんだかふざけてるんじゃないかと思うような(笑)。
古い大型バイクがリビングにどーんと入ってて、壁にはロック系Tシャツやレコード、ガラスのショウケースにはアメリカのビンテージのおもちゃを入れて部屋の照明はブラックライト。もうまったく生活感なし。収入なんかはそう高くない連中なんだけど、そんなことどこ吹く風で最高に楽しそうなんですよ。夜はハウス集落の真ん中の庭で焚き火。空が明るくなるくらいまでお酒を飲んで駄弁ったり歌ったり。
で、自宅のワンルームマンションに帰ってくると、自分はなんてつまらないところに住んでるんだろうと。今考えればあの時の虚無感がFLAT HOUSEフリークになる「胎動」だったかと思います。

―遊んでるように住むって、実はとてもうらやましい住まい方ですよね。そしてアラタさんは、すでにそっち側の人という印象です。

取材は福岡の西戸崎(さいとざき)にあるアラタさんが借りている米軍ハウス『FLAT HOUSE villa』。西戸崎までは博多港から渡船で15分。

アラタ:自分でもそうだと思います(笑)。でも実はそれが結構大事なんですよ。ほとんどの人の暮らしに欠けているのが「暮らしにおける楽しさ」です。僕が平屋にこだわって住むことになったのは、会社員を辞めて自宅に長時間居るようになったことに端を発します。ワンルームの自室で仕事をしていたら気分がひどく滅入るいようになって、外に飛び出したくて仕方なくなってきて。そのままウツっぽくなってしまった。で、「これはどこかに引っ越さねば大変なことになる」と脱出を決めました。

ー具体的にはどうやって脱出先を見つけたのでしょう。

アラタ:当時、調布の野川公園という大きな緑地に、平日動けるフリー職の仲間と椅子とテーブルとお酒なんかを持ってよく遊びに行ってたんだけど、すぐそばに古い平屋の集落を見つけたんです。「ここに住みたいなァ!」と。福生のハウスで遊んだ体験から直感したんですね。
その後ちょくちょく空家はないか視察に行っていたら、外人の女性が平屋に入って行くのを見つけて、「ここはどうやったら借りられるの?」って尋ねたんです。そうしたら奥から日本人の旦那さんが出てきて「ちょうど裏に1棟空いてますよ」と教えてくれた。
行ってみたら庭は草ボウボウでゴミだらけ、人が住んでいたと思えない。とにかく大家さんの家を教えてもらって行くことにしました。集落のすぐ裏にある大きな家で、農家の旧家らしく鶏舎付きのお屋敷。後日菓子折りを持って出直し「あの平屋、自分で手を入れるので貸してもらえませんか」って伝えたんです。

―空き家の有無はまず住人に直接尋ねる、そのやり方なんですね。

アラタ:そうですね。このときにこのやり方が有効だと学びました(笑)。で、5万円ほどで貸してもらえることになって喜んだんだけどそれも束の間、1週間くらいしたら大家さんから電話があって「家を開けてみたら床も抜けてるし雨漏りもひどいからやっぱり壊そうと思う」って謝られて。どうやら家賃を滞納していた前の住人が倉庫にしていて、ほとんど家にいなかったみたいなんです。もうすっかりその気になってたからかなり凹みましたよ。
そうしたら例のアメリカ人女性の旦那さんからも電話が来て、事情を話すと「大丈夫、またひとつ空きますよ」と。喜び勇んで行ってみたらこっちの方がいいなあって思ってたFLAT HOUSEだったんです。

博多市街からJRでも行けるが、ぐるりと半島沿いに進むため30分以上かかる。船が早い。

―ツイてないようでツイてますね。

アラタ:平屋運はいいんです(笑)。角地で日当たりがよくて、風通しもいい家でした。前住人は近所のアメリカンスクールのアートの先生だったらしく、古いワインの木箱を棚代わりに腰板に打ちつけてあったり、カーテンレールの上に飾り棚のようなものが設えてあったりとちょっと米軍ハウス的でね。大家さんも前段のことがあったので家賃を安くしてくれて。で、そこに入ることに決めたんです。
90年代の中頃のことだから、まだセルフリノベーションなんて言葉も一般的じゃなかった。ボロ平屋を借りようとしたとき、一緒に見に行った友人に「ここを自分で直して住む」って言ったら、「えー!? あれは相当大変だぞ~」ってかなり脅かされましたが、今度の平屋は塗装したり畳を上げて板張りにする程度で済みそうだったので躊躇なしでしたね(笑)。

―その時のアラタさんの職業は…。

アラタ:まだイラストレーターを名乗ったばかりで、バイトも並行してやっていた頃です。この時期はいろんな仕事をしましたが、そろそろ絵の仕事で家に籠る時間が増えてきた頃だったと思います。

渡船が到着する西戸崎港。島に上陸したような感覚。

―リノベーションとかの経験はないけど、できそうな気がしたと。

アラタ:手を動かすことには自信があったので「やる気になればできないことはない」くらいに思ってました。
まず手を付けたのはプリント合板の部分の塗装。同時に畳をあげて足場板を使ってフローリングへの改装もしました。入居後も押し入れの中板を外してシェルフが入るようにしたり、天井裏に上がって断熱材を敷いたり、浴室に折りたたみ式のタオル掛けを自作したり、庭にウッドデッキをつくったり…。住んでいるうちにすっかり家をいじる楽しさを覚えちゃった。こんなになんでもやれるなんて、古い平屋暮らしってのは最高だなと思いましたね。

―できるものなんですね。

アラタ:「できない」ではなく「やらない」だけなんですよ、みんな。大家さんからは「出ていくときに元に戻してくれればいいわ」と言われたんだけど、僕が入居したときにも前住人のワイン箱の棚が残ってましたからね。結構甘いんだなと(笑)。まあ、キチンと使えるものを作ればお咎めなしなんですよ。なのでいじるときは完成度の高いものを目指しました(笑)。

道路もゆったりした西戸崎の街をしばらく歩くと…。

―大家さんのゆるさもいいですね。

アラタ:農家の旧家ですからね。基本おおらかなんですよ。その平屋に住み始めてから心身の調子も戻り、それに伴って仕事も上向きになってきて。不思議といろんなことが右肩上がりになっていったんです。友達もみんな遊びに来たがってくれて、週末はたいてい誰かが来てました。しばらく居ると「落ち着く」「帰りたくない」「住みたい」なんて言い出してね。古い平屋ってみんなに好かれるんだなあと。
それから勉強もさせられた。塀の代わりに垣根を植えれば市から助成金が出るなんてことを知ったことで、市政や自治体のことも進んで調べるようになりました。家の構造のことや街のグランドデザインに興味を持ち始めたのもあの平屋でです。「暮らしヘの意識」をがっちり教わった気がしますね。

アラタさんが西戸崎に借りている「FLAT HOUSE villa」に到着。

アラタ:その前のワンルームマンションも、なんだかんだといいつつも会社員時代から7年間住んだんですよね。その間大勢の友人が泊まりに来たり、彼女と同棲したり、近隣の大学生と飲んだりと思い出いっぱいだったはずなんだけれど、家を出るときには不思議とさほど気持ちが動かなかった。でも平屋は全然違ってましたね。引っ越すときには永年の伴侶との今生の別れのような気持ちになって大号泣。大変な目に遭いました(笑)。

―家を越すとなれば号泣ですか!

アラタ:三鷹の平屋は結局10年住んだので、引っ越すときにお別れ会みたいなのをやったんですよ。
入居前にペンキ塗りをしたときに撮ったスナップや、手伝いに来てくれた友人やガレージセールをしたときの写真、当時ハイロウズだったヒロトとマーシーがアルバム用の写真を撮りに来たときのスナップなんかを引き延ばして壁に貼って。友人や仕事仲間を呼んで、お茶やお酒で感極まった僕が勝手に懐古談をモノローグ。みんなよく付き合ってくれたなあと(笑)。

―お別れ会といっても、家とのお別れ会。アラタさんが海外に行ってしまうとかではない。

アラタ:そう、距離にしてたかだか5キロの引っ越しだというのに(笑)。来てくれた人たちもこの家が好きでよく遊びに来た人たちだったから、少なからず思い入れはあったと思います。でも、マンション住まいやまだ平屋に入って日の浅い人々だったから「アラタは隣町への引っ越し程度でどうしてこんなに感極まってるんだろう」って思ったでしょう(笑)。
もちろん号泣はみんなの前ではありませんよ。会がお開きになって片付けをしてクルマに最後の荷物を詰め込んで、ひとりで新居に戻る車中でです。涙が止まらなくなり、嗚咽で運転できなくなりそうでした。想定外でしたね(笑)。
その後、その集落から友人2世帯が平屋を出ることになるんだけど、4~5年ほどの暮らしにも関わらずふたりともやっぱり泣いたって言ってましたからね。「俺もアラタさんの気持ちがわかりました」と(笑)。

―家とのお別れ会を開いて泣いてしまう。それだけ家とのつきあいが親密なんですね。

アラタ:古い平屋に住んだら絶対にそうなると思います。マンションなんかとは親密になる深度が違うんでしょう。別にいい話にするつもりもないし、むしろちょっと痛々しい話ではあるんですがね。大の大人を泣かせるFLAT HOUSEって、ホント空恐ろしいんですよ(笑)。

次回の記事では、「FLAT HOUSE villa」の中の写真も続々。なお、「FLAT HOUSE villa」はAirbnbなどを通じて借りることもできます。

 
#2 フラットハウスと団地 へつづく(近日公開予定)

文:竹内厚 写真:平野愛


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