アサダワタル(日常編集家)

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#1 「住み開き」のはじまりと今。

貸し借りだからこそ面白いって何!?
住み開きから借りパクまで。

「OURS.」というサイトを立ち上げるにあたって、まっさきに思い当たったのがアサダワタルさんのこと。

音楽、アート、福祉、地域づくり…と、ひとつの領域に留まらずに活動しているアサダさんは、自身の肩書としては「日常編集家」を名乗っている。

たとえば、カラオケボックスのパーティールームにDJを入れて、歌って踊れるイベントを開く「KARAOKEDISCO!!」。
あるテレビ番組をゲストを招いて一緒に見ながら、批評的に語り合う「テレビをみる日」。
日常にあふれる何かの再発見、使い方の拡張、先入観をズラすところから、思いがけない世界が広がっていく。

そんなアサダさんの様々な活動の中で、広く知られていることのひとつが「住み開き」にまつわるもの。「住み開き」とは、住んでいる場所の一部を、無理のない範囲で他人へと開くこと。
私設博物館や私設図書館、自宅で開かれている教室、シェアハウスのリビングなど、いろんな「住み開き」が思い浮かぶはず。

日常再編集、住み開き、そんな言葉にヒントを求めて、滋賀県大津市は琵琶湖のすぐそばにある、アサダさんの自宅を訪ねた。


アサダワタル
1979年生まれ。日常編集家。文筆、音楽、プロデュース、講師業。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『コミュニティ難民のススメ 表現と仕事のハザマにあること』(木楽舎)。妻、娘、ネコと暮らす。

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ーアサダさんが2009年に大阪で実施した「住み開きアートプロジェクト」*が、「住み開き」ということばを使われた初めての機会です。

「住み開き」というのは当然、造語で、自分としてはすごく新しいという感じはなかったけど、周りの反応がとてもよかったんです。
そのことばを作る前に、僕自身は、いろんな友人たちと大阪のマンションの一室で、「208 南森町」*というスペースを実践していました。ほんとに気軽なホームパーティの延長みたいなもので、だけど、知ってる人ばかりが集まるのではなく、ウェブサイトだけで告知したりして、小さく集まっていくような現場。
そしたら、「僕の家でも実はこんなことをやっていて」という声が集まってきたりしたので、こういう場のことを「住み開き」と名づけて、それぞれの経験を語り合ったり、他の場を訪ねていく”お宅訪問”のようなことをやってみようと、「住み開きアートプロジェクト」の企画を立ち上げました。

ー当時からアサダさんはいろんな文化事業にたずさわったり、プロジェクトを立ち上げていましたが、「住み開き」はとりわけ大きな反響がありました。

そうですね。「これをアートって言うんだ」という反応もあったし、新聞で紹介された記事を読んで、「私も趣味でやってみたい」というシニア世代の奥さまから連絡があったりして、いろんな反響がありました。
なので、プロジェクトが終わった後も取材を続けて、訪問先でイベントを開くなど、じわじわと続けてきたのが「住み開き」のはじまりになります。

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ー2012年には、およそ30の事例を集めて、『住み開き』の著書を発売。これで「住み開き」ということばは、ますます一般化しました。

本を出したことで、「住み開き」ということばを使う人が数的に増えたし、領域的にもさらに広がりました。
実は、本を出すまでは建築や住宅関係の方との接点はあまりなかったんですけど、都市計画とか住まいの場づくり関係のシンポジウムなんかに呼ばれる機会も増えて。すると、そこから興味を持ってくれる人ってまた違うタイプなんですね。地域振興、空き家対策、独居老人の問題など、社会的な課題とつながる方向で「住み開き」のことが語られるようになってきました。

ーちょうど、「コミュニティデザイン」ということばも広まってきた時期でもあります。

そうなんです。家を使って何かをやるという点では、微妙に重なるところもあったので、ハードとソフトを絡めるという観点から注目してくれる人も増えました。

ーもともと、「住み開き」は厳密な定義ではなく、あれもこれもいろんな事例が入ってきて、それが同じ「住み開き」という枠で語られることの面白さがあったと思います。社会的なテーマとつながることで広まる反面、語られる文脈が固定されていきませんか。

そういう面はありますね。メディアに取り上げられるときにも、社会的な見出しがはっきりと打ち出されますから。
僕もそういう社会的な課題とは無縁ではないので、それで全然いいんですけども、自分が講演で呼ばれたりするときには、そこから「住み開き」を語るようには絶対しないようにしています。

ー社会的な課題との接点をウリにする人も多そうですが、「そこからは語らない」ってどうしてなんでしょう?

僕としては、何らかの問題解決の糸口として「住み開き」に興味を持ったのではなくて、あくまでも表現活動の一環としてはじめたんですね。それがいろんな人たちと共有されることで、勝手に転用されていって、そこでどんなコラボレーションができるかということにはとても興味があります。
だけど、「住み開き」で社会的な課題が解決するというところから語りはじめてしまうと、気軽に、自分の好きなことから始めればいいって、もともと言おうとしていたことと矛盾してしまう。いきなり、こう、構えてしまうでしょ。

ーそういえば、09年に立ち上げたときは「アートプロジェクト」の枠組みでしたね。著書でも「無理せず自分のできる範囲で」とか、「毎日開く必要なんて全然ない。だってお店や公共施設じゃないんだから」といったことは、何度も書かれてました。

そうなんですよ。たとえば、町づくりという点で言えば、いろんな手法がある中で、ほんとに「住み開き」がオリジナリティを持つためには、むしろ表現活動の一環であることを大事にしないと、その他大勢と変わらなくなると思うんです。
もちろん、「表現だから」って投げっぱなしの説明をするわけじゃないですし、結果的に地域コミュニティの活性化につながるような事例も少なくないので、そこはちゃんとつないで話すように意識しています。

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ーなるほど。自分の好きなことや趣味の延長でちょっとだけ家を開く。すると、それが共有されたり新たなつながりを生んだりして、その先に社会的な課題を解決することにもつながることもある。
確かにこの順番を反対にすると、「住み開き」の幅が狭くなってしまうのかもしれません。

良くも悪くもそれぞれの解釈で「住み開き」を使ってもらって全然いいんですよ。いまや「住み開き」で検索しても、まったく僕も知らない人たちがいっぱい出てきますから。それでいいんです。
だけど、提唱者として話してくださいと言われたら、表現活動の一環からはじめたということはちゃんと伝えたい。
その上で、いろんな「住み開き」をネットワークしていくことが大事かなと思っています。

*「住み開きアートプロジェクト」について
http://sumibiraki.blogspot.jp/
*「208 南森町」のアーカイブ
http://www.mediapicnic.com/208/

文:竹内厚 写真:平野愛


THE BORROWERS

借り暮らし、貸し借り、賃貸にどんな可能性がひそんでいるのか。多彩に活躍する方々へのインタビュー取材を通してその魅力に迫ります。いいところ、大変なところ、おもしろさ、面倒くささ…きっといろんなことが浮かび上がるはず。