黄瀬徳彦(TRUCK FURNITURE)

# # # #

#2 大きな木を拾う

1号店開店から2年後には、近所に2号店をオープン。知名度も業績も上り調子の「TRUCK FURNITURE」は、2009年、12年間過ごした玉造を離れ、旭区・新森へと移転を果たします。

#1 はこちら

―09年に移転するにあたって、いちばん重要視したのは何でしたか?

黄瀬:大きな木を毎日見ながら暮らしたい。それがいちばんやりたかったことです。自前で建物を建てたいとか、そういうことは思わなかった。

―となると、まずは自然豊かな場所を考えていたと。

黄瀬:そうですね。大きな木があるのはまず郊外になるわけで。能勢から兵庫、和歌山など、あちこち探し回りました。でも、山の中へ入っていっても、やけに目立つ看板や資材置き場など、気持ちよく思えないものがあったりして、自分が思っていた環境じゃなかったんです。田舎暮らしをしたかったわけではなかったので。

―郊外だと大きな木はあっても、気になるノイズも増えてしまう。

黄瀬:その頃、ヨーロッパやオーストラリアに行った際に、都会でありながら木がたくさんある世界を見てきて、街中でもええやん! となって。大阪市内の公園周辺とか探したんですけど、やはりなかなかこれだと思える場所がなくて。最終的には、もう公園にはこだわらん、自分で木を植えればいいやとなりました。それで、3つの学校に囲まれてヌケのいいこの場所に決めて。

―自分で木を植えればいいって発想もすごいですね。

黄瀬:あくまでも木ありき、です。小さい頃から山へ行って、春だな秋だなと感じるのが好きだったので、基本的には落葉樹を植えました。ただ、落葉樹というのは植えていいというタイミングがあるんです。ここをオープンする前、建物をたてる工事が遅れてたんだけど、木を植えるそのタイミングが来てしまったから、外壁に組んでた足場をいったんバラして、植樹するのを優先しました。オープン時に木がないのはありえへんと思っていたので。お金も余分にかかったけど、何が大事って、木が大事でしたから。

―そこの優先順位、とてもハッキリしてますね。

黄瀬:玉造にいた頃、毎日犬の散歩に行ってた難波宮の前に、法円坂住宅という団地があって、すごく好きだったんです。緑も多くて。そこが建て替えられることになって、建物がどんどん解体されて、周りに植わってた木まで切り始めたんですよ。もう、うわ~やめてくれ! って。

―黄瀬さんからすると、それは痛々しい。

黄瀬:それで、大阪市にちゃんとかけあって、そこの木も30本ぐらい救出してきたんです。

―救出?

黄瀬:そう。猫や犬も拾って飼ったりしますけど、木も一緒なんです。生き物だから。

―でも、もらいうけるのは相当難しいんじゃないですか?

黄瀬:造園屋さんに見てもらったら、「大きな木は移植するのに2年はかかるし、うまく生き続けるかどうか、その確率も怪しい。お金もかかるから、新しい木を買ったほうが安いで」と言われました。でもそういう話じゃないんです。生きてるもんやから。かわいそうやねんと。

―いいなと思ってた団地の木を、簡単に死なせるわけにはいかない。

黄瀬:許可をもらって3日間かかって掘り起こしました。トラックに積んでいると、団地の人たちが「あの木たちは幸せやなあ」と言ってくれて。

―うれしいですね。で、その木たちは無事生き返りましたか?

黄瀬:ちょうどそれが店をこっちに移すタイミングだったんですけど、ほとんどが生きながらえて、ここで元気に育ってます。

―ここにある木、もう何十年もこの地で育ったかのようにイキイキとして、なじんでますもんね。

黄瀬:僕らが選んだ木は、荒れてる感じがあってワイルドで。植えた途端、木の力で不思議に建物がもともとあったように見えたんです。店がオープンしてから来てくれたお客さんが、「ここ、もともとは学校やったみたいよ」と言いながら入ってきました。いや、新築なんですけど(笑)。

―大きな木の力で、新築とは思えないほど建物が土地になじんで見えたんですね。

黄瀬:植樹の時は大騒ぎでしたけど。木がどう見えるかそのこだわりはあったので、大きな木はクレーンで吊って「もうちょっとこっち」「少し角度変えて」とか。ちょっと回転させるだけでも、大迫力ですから。

#3 好きなものしか置かない
黄瀬さんの住まい、とにかくかっこいいんです。その理由、お聞きしました。


THE BORROWERSとは

借り暮らし、貸し借り、賃貸にどんな可能性がひそんでいるのか。多彩に活躍する方々へのインタビュー取材を通してその魅力に迫ります。いいところ、大変なところ、おもしろさ、面倒くささ…きっといろんなことが浮かび上がるはず。