森麻奈美(『はならぁと』マルカツ担当キュレーター)

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#2 演劇が町にやって来る! の興奮を

奈良の町家を使った芸術祭『はならぁと』。
その会場のひとつ、宇陀の松山にある江戸末期からの町家「マルカツ」で演劇による企画を進めている森さん。話をお聞きしていると、空き家と演劇はかなり相性がいいみたい。

家の中を演劇で旅しよう

―森さんが「マルカツ」で企画していること、もう少し教えてください。

渡辺瑞帆は舞台美術家なんですけど、舞台美術だけで演劇をやってほしい、と無茶ぶりをしました。

―役者も何もなく、舞台美術だけで!?

そこには確信があって。彼女は去年1年間、東京の下町で一軒家を借り切って、そこで演劇作品を作る劇団「贅沢貧乏」の家プロジェクトに参加していたんです。

―その時は、俳優もいたんですよね。

そうです。役者もいるなかで、観客は自由に家の中を歩き回りながら演劇を観るという作品で。ほんとにフツーの家で、俳優たちは実際にそこに住みながら稽古をして上演するということを繰り返していました。

―その場合、どこまでが舞台美術なんだろう?

そう思いますよね。彼女はそういう才能がある。どこまでが作りモノでどこまでが本物なのか、その境目がわからなくなる。そういう作用を持っている人なので。この『はならぁと』に参加してもらうのがとってもいいなと思ったんです。

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―今回は、そこから役者抜きでやってみようと。

そうなんです。最近、「遊歩型演劇」や「ツアー型演劇」というもがちょこちょこあって。たとえば、高山明さん主宰の「Port B(ポルトビー)」。テキストを読む、あるいはラジオを聞きながら町を歩いて、景色とテキストを並列してみることで劇性が生まれる。そういうタイプの演劇を、家の中を巡ることでもできないかなと。

―家の中を旅する感覚ですね。

基本的に常設展という形で、入口で本(テキスト)を受け取って、家を巡るというやり方を考えています。この家の柱には背比べの傷が残されてたんですけど。ちょっと不思議なのが、「マサコ8歳」という書き込みが同じ柱にいくつもあって、しかも、どれも高さが違う。怖いような面白いような、どういうことなんだろう…って。想像力が膨らみますよね。この家にかつて暮らしていた、そういう住人たちの物語があって。
一方で、9月から滞在制作で住んでいる私たちは、家の気になるところにペタペタと附箋を張ったりしながら、新たな家のドラマを見出しています。あるいは、まったく別の神話や昔話をテキストに織り込むことで、家の景色が変わってくるかもしれない。家を巡る中で自分の記憶が揺り動かされるような体験をお客さんに促す、そういう体験を彼女(渡辺瑞帆)は作ろうとしていますね。

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―この町家じたいの歴史や雰囲気に加えて、さらにここではないどこかへ誘われるようで、とても興味深いです。

彼女とは早い段階で「俳優がいない状態で演劇が立ち上げる条件」について話し合いました。すると、俳優がいなくてもほんとはどこかに“いる”という話になって。たとえば、複数の来場者がこの町家「マルカツ」を訪ねたとすると、お客さんが何かしているところをまた別の来場者がみることで〈観る〉〈観られる〉の関係が生まれる。つまりそれは、〈俳優〉と〈観客〉の関係にもなるんです。

―俳優はいなくても、“演じ手”はいるということですね。

そうです。こちらが用意する俳優はいなくても、お客さんが俳優として偶然見えてしまうことがあるかもしれない。もしも、屋外だったらまったく関係ない第三者の通行人が、俳優に見えてくることもある。さらに、マルカツでは「亡霊」とか私たちは言ってるんですけど、そういうものまで立ち上がってくる。もちろん視覚的に見えるわけではなくて、家を巡っていくうちに誰かの“かつての気配”を感じる。そういうことを起こしたいんだ、という話に落ち着きました。

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どこまでが演劇なの!?

―もう1組の参加アーティスト、「アムリタ」の観劇は、お茶菓子付きなんですよね。

それもサービスというのではなくて。今回、「訪ねてくる人」と「迎え入れる人」がテーマのひとつになっているので、「来たお客さまをアムリタがもてなす」という関係性も作品の一部になっています。


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―いつの間にか巻き込まれてる!

そうなんです(笑)。俳優たちも観客に干渉することなく自由に家の中を徘徊しているので、お茶菓子を食べたりのリラックスした状態で、彼らの話し声や気配を感じることで記憶が揺り動かされるような体験をしてほしい。
アムリタを主宰する荻原永璃は、今回はあらかじめ戯曲を用意せず、ワークショップ形式で演劇を作っていくスタイル。なんで、まだ一番内容が分かってないのがアムリタかも(笑)。

―武田力さんの演劇「わたしたちになれなかった、わたしへ」は糸電話演劇だとか!?

武田は糸電話をつかった1時間程度の演劇を上演します。糸電話の電話口にはそれぞれお客さんが入れる4つのブースがあって、最初は俳優でもある武田が入って誘導しますが、ブースの内側は隠されているので、実際、誰の声かはわからない。観るとは違う感覚ですが、声を聞くという絶え間ない〈発信〉と〈受信〉の関係から劇性が立ち上がってくる。今回は、音楽家のタカハシ ‘タカカーン’ セイジさんが音楽として入ってくれるので、他の部屋でも何かが聞こえてくると思います。

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糸電話演劇のために室内に張り巡らされた糸

―作品の要素として、宇陀らしさというのは意識されますか?

それぞれに土地のリサーチはしています。先日は実際にこの家で暮らしていた松本さんにインタビューしました。ご高齢の方ですが、面白いのが、話の中で矛盾が起こるんです。さっき聞いたことを繰り返しても、それは違うと言われたり。でも、それも含めて面白いよねと。人間て当たり前すぎることって、記憶の中から省略していくんだと思うんです。そのエラーも含めて人間らしいと思える。物事の正確さより、土地と人との関係性の中から出てくるものを受け取ってもらいたい。それが、演劇にできることだと思います。

演劇をもっともっと開きたい

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―森さんご自身、これからの仕事の方向性も見えてきた感じですか?

今回のことでやっぱり私は、こういうことがしたいんだなと自信が持てた部分もあります。劇場ってどこか閉じた印象があって、演劇ファン以外は行きにくい場所だし、演劇自体も時間の拘束とか値段とか、いろんなことが“しんどい”と感じることが多い。この状態でほんとに伝わってるのかなと。何か疑問が生じたんですね。

―演劇はある程度、客層が固定されているところもありますね。

そうですね、宇陀のおじいちゃん、おばあちゃんは大好きだけど、彼らはきっと劇場には来ないよなと。こういう人たちに届かないものをえんえんと劇場という閉じた場所でやっていて、「良かった!」といわれるのも一部の人たちの中だけで…その感じが嫌。私は演劇を普段見ない人たちにも見て欲しい。
今、オリンピック景気とか言われてますが、国がのぞむもの、あるいはキャッチーなものに助成金は使われるから。武田力の「糸電話演劇」みたいな“よくわからない作品”なんかは、今後どんどんしんどくなると思う。この先、演劇というメディアが残っていくためにも、もっと開いているものを作っていきたいなと思います。

―“よくわからない作品”は、あった方がいいですか?

武田の糸電話演劇「わたしたちになれなかった、わたしへ」は、わたしたちという日本社会が作ってきた大多数に対して、そこからあぶれてくる個人を表しています。糸電話の細い糸を通して、いろんな個人が気持ちを吐露していく。その中で劇性を保つ作品なんです。そういうか弱い声を聞いていかないといけないなと思います。忘れ去られるものたちの声に耳を傾けるなり、感覚を開いていきたい。

―森さんの中で“開く”という感覚が重要なんですね。

以前、そのことで演劇をよく見る方と口論になったことがあって(笑)。その時話題になったのは、客席と舞台には目に見えない壁があって、私はそこを取っ払いたくてやってるんですが、彼女は壁があるからこそ安心できると。俳優には干渉して欲しくないというんですね。それってすごく閉じた状態ですよね。今回、アムリタの作品では舞台も客席もない状態で俳優が行き来しますが、彼らが観客に直接的には働きかけません。それでも第四の壁のない演劇は成立するんですね。
私がアムリタを好きなのは、彼女たちの公演パンフには「眠ってもいいです」と書いてある。良いお芝居は時として眠ってしまうことがあるのを私たちは知っているので、全然眠って良いんですよと。お客さんを解放してあげる言葉がすごくいいなと思って。その方とはそういう身体感覚の話が伝わらなかった。

―もっと身体感覚が必要だと。

身体感覚が薄れていくのは、とても恐ろしいことだと思っていて。演劇は生身の俳優がやるものなので、観客の身体感覚を取り戻す方向の表現をやるべきなんじゃないかなと。あくまで、これは私のポリシーなので全部の作品がそうなればいいという話ではないのですが。私はそこを目指していきたい。

―もはや、ドラマトゥルクの職能の枠を超えているのかも。

私は、これもドラマトゥルクだと思っています。もともとは「つなぐひと」でもあるので。土地を読み解くことも、戯曲を読み解くことも同義。これから先も続いていく演劇の歴史の一部としてお客さんと作品をつないでいく。それがドラマトゥルクの仕事だと思っています。

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―大きなものを背負われてますね!

私もいま言いながらすごく大きなこといっちゃったから、どうしようかなと思っちゃったんですけど(笑)。ほんとに米粒程度の一助だと思っています。

―このタフな企画をやり遂げたあとは達成感がありそうですね。演劇の可能性も広がりそうです。

確かに、今後はどんな状況に遭遇しても動じない気がします(笑)。リサーチ中に町の方に演劇をやるって話をすると、ぱぁっと明るい表情をされる方も多くて。やっぱり演劇が来ることは一大ニュースなんだなと。まだ見ぬものへの期待もあると思います。だからこそ何を見せられるかが重要で。劇場のように、きちんとした舞台や客席があるわけじゃないけど、ここでしか作れないものにこだわってやっていきたいと思います。

[宇陀松山さんぽ]

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ものすごく立派なうだつが上がる町家

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宇陀は薬の町

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春日神社への参道

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宇陀松山城は南北朝時代には築かれていたとされる。1615年、小堀遠州らにより破却されたため、今年は「破城400年」でライトアップなども

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マルカツから徒歩3分。姉妹で営まれている「cafe equbo*」。この向かいに『はならぁと』宇陀松山のもう一つのキュレーター会場、旧四郷屋がある

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城下町の出入口となる黒門

文:石橋法子 写真:平野愛 編集:竹内厚
(2015年10月20日掲載)

EVENT DATA

『奈良・町家の芸術祭 はならぁと2015』
こあ 2015年10月24日(土)~11月3日(祝)
開催エリア:宇陀松山、八木札の辻、今井町
ぷらす 2015年10月10日(土)~10月18日(日)
開催エリア:生駒宝山寺参道、五條新町
http://hanarart.jp/2015/

※森麻奈美さんが担当しているのは『はならぁと こあ』の宇陀松山会場です。
『マレビトの宿る社 at マルカツ』
日時:10月24日(土)~11月3日(祝) 
会場:宇陀松山・マルカツ(近鉄榛原駅からバスで約20分)
参加アーティスト:演劇集団「アムリタ」、渡辺瑞帆(舞台美術家)、武田力(アーティスト)

※期間中にマルカツで行われる上演イベント
武田力作品「わたしたちになれなかった、わたしへ」
10/24(土)18時・25(日)14時・31(土)18時・11/1(日)14時・3(祝)14時
チケット料金:1000円
アムリタ作品「から、へ、流れる」
10/24(土)14時・25(日)18時・30(金)18時・31(土)14時・11/1(日)18時・2(月)14時
チケット料金:1500円(茶菓子付き)
http://hanarart.jp/2015/uda-marebito


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