真福院で暮らす
四井雄大(美術作家)

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#2 なんでも来い。ここは人生修行の場だから。

お寺にアトリエを構え、陶芸家として作品をつくり続けている四井さん。俗世との縁を断つ修行僧のようなスタイルかと思いきや、同居人がいたり、はたまた得意のカレーと器をお披露目する「住人の振る舞い」なるイベントを主宰したり。なにかと人の縁を大切にしている様子が伺えます。実はそこに、彼なりのブレない「自分らしい在り方」が、しっかりと根底にあったのでした。

ーそうだ、陶芸はいつからやってるんですか?

四井:中二の夏から陶芸教室に通って、気付いたら今までやっているという感じです。そんなにいろんなものに興味を示さない子どもだったんですけど、なんでか陶芸は珍しく「自分でやりたい」と思ったんですよね。そこからずっと、「今の僕」のままなんです(笑)。あのときから意識がずっと続いてて、価値観も変わってない。自分で言うのもあれですけど、そんな自覚があるんですよね。

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一番多いモチーフは「急須」。もったりしたフォルムだが、実際に使うことができる

ーということは、中二の夏には、すでに成熟した考え方の土台ができていた。

四井:そういうことになるんですかねぇ。なんていうか、きっと陶芸が、自分の中で「意識的に選択したもの」だからなんでしょうね。何かを考えるときに、「陶芸」というチャンネルを思考の中心において、そこから世の中を見てきたというか…。それで言えば、陶芸だけじゃないな。同じように思考の中心にしてるのが、「任天堂」と、「カレー」というチャンネルがあります。

ー任天堂に、カレー。

四井: あ、言い忘れてましたけど、僕がカレーに興味出たのは、岐阜でバイトしていた陶芸教室の近くにあったカレー屋でバイトしたからです(笑)。昔からカレーが好きだったからとかいう話では全くない。もう完全に、意識的に、自分に「カレー」というチャンネルを足したから、僕は今、カレーをずっと作り続けているんです。

ーなんだろう、選手宣誓くらいに清々しい断言ですね(笑)。「好き」が前提条件ではない、と。

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四井:究極みんなそうだとは思うんですけど、なんか何考えていいかわかんないじゃないですか、この世の中。いろんな要素がありすぎて何をどう捉えていいか、自分の思考が処理しきれずに鈍ってくる感覚になる。だったら割り切って、「ここはこういうジャンルの考え方で」というチャンネルを自分に加えると、問題が起きても解決するための指針が逆にはっきり見えてくるというか。

ーじゃあ、ここにある「任天堂マザー2」の分厚いファイルも、そういう意味合いで?

四井:そうそう、これもね、中学時代にハマった「マザー2」の全テキストデータをダウンロードしたやつが入ってます(笑)。だから、例えば学校の課題とかレポートとかでどんな問題が出ても、このゲーム思想をベースに教科の問題に置き換えてましたね。これらはなんていうか、「どこまで好きか」という計り知れない感覚値の問題じゃなくて、陶芸も任天堂も、カレーもすべて、僕が何かを表現するときの出力方法といったほうがいいのかな。ただ、それだけのこと。

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ー陶芸やカレーが自分自身を表現するツールだとしたら、そのふたつを合わせたイベント「住人の振る舞い」は、「自分のすべてを知ってください」みたいな会でもあることになりますか?

四井:作品がギャラリーに並んでるだけだったら、実際に僕が伝えたいことがどう伝わってるか計り知れないわけです。それが、僕の空間に入ってきてもらえれば、もうそれは「世界観」になるわけで。だからこんなお寺まで来てもらって、器のことを話して、アトリエみてもらって、そして実際に器でカレーを食べてもらう、と(笑)。でもね、僕は正解とか理解を求めてるんじゃなくて、それを踏まえたうえで「どうみていいかわからんけど、あぁ、わけわからんっていうまま見ていていいんだね」って、そう思ってもらえるだけでもいいんです。

ー何かを伝えるということより、どう伝えるか。なるほど。ちなみにこのイベントはどんな人が参加されてきたんでしょう?

四井:半分は友達とか知り合いの人。あとはチラシを見て来たっていう一見さんとか、あとはどこから聞きつけてきたのか、コアなカレーファンの方もいましたね。インド料理を目指してならどこでも出没するような、インド料理クラスタの方が。

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「住人の振る舞い」でのひとコマ。一期一会の出会いをカレーとともに/四井さん提供写真より

ークローズされた場所でやるイベントって、どうしても身内感が強くなりがちですけど、さすがお寺というべきか、独特なコミュニティのような気がしますね。

四井:そうなんですよ。僕自身は、なにかイベントをやりたくてやるっていうことは、絶対にないんです。でも、お寺という場所、そしてアートグミという存在、そしてカレーを食べたいという周りの要望があったからこそ、それらが自然に無理なく結びつける方法がたまたま、「住人の振る舞い」というイベントだった。今までの展覧会とかもそうですけど、そういう外からの縁があるから、やるっていうことばかりですね。

ーこのお寺に住むことになったのも、そうですよね。やっぱりそういう星のもとに生まれてるんですよきっと。なんだろう、軽く嫉妬しそうになってきました。

四井:たしかに、「いろいろずるい」っていわれます。特にアート関係のひとたちに(笑)。

ー逆に言えば、縁がなければ基本的に「一人が一番」と思っているような話ぶりにも聞こえますが、ここには、同居人や間借り人がいると伺いました。

四井:実は、学生の時も一軒家で住んでいるのは僕ひとりだけだったんで、人と一緒に住むことが好きか嫌いかで言えば、好きではないという…。いいこともあるけれど、考えることが増えて機動力が鈍っちゃうじゃないですか。でも、ここに住むきっかけも人との縁から始まってるので、誰かと一緒に住むってのも、「まぁ、そっか」くらい。今は堀くんていう美大の後輩と一緒に住んでます。

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ー最近は、あえて交流するための場=シェアハウス、という場所が本当に増えましたよね。

四井:本当に増えましたよね。ただ、はっきり言ってしまえば、たとえシェアハウスに暮らしていても、「場づくり」というところに意識が回り続けている住人って、そんなにいないと思うんですよね。これは美術をやってる人だとかそんなの関係なくて、普通に生きていくうえでの条件をと考えた時に、最終的な判断基準として、「常日頃、誰かと交流できる場」っていうことを最重要条件としている人って、そんなにいないんじゃないかな…と。

ーいろんな意味での精神的なライフラインではあるけれど、誰かから常に見られているような場に、四六時中浸っていることって、たしかに実際は難しい。

四井:付加価値として、みんなでやることが面白かったり、地域の人と関われる場であるということはもちろんプラスの要素だなって思っています。ただ暮らしの根本は、あくまでも個々がどう生きていけるのかっていう、切羽詰まった問題だなとも思うんですよ。そういう意味でも、お寺って自分がどう生きるのかってことを考える原始的な場所かもしれないなって。

ー人と比べて尽きない悩みに悶々とするのではなくて、自分の中にある煩悩と向き合うことこそが、悩みを解決するための道である。まさに、「自覚の宗教」と言われている仏教そのものですね。

四井:僕、これだけは自信あるんですけど、自分の選択によって掴んだ縁で僕がどうなろうと、飲み込める覚悟があるんです。例えば、あんまり芳しくないことが起きたとしても、「だってそれ、僕が選んだことだからしょうがないかぁ」って(笑)。結果を求めるんじゃなくて、目の前にある条件を余すところなく受け入れること。だから、こうやって何かの縁で、人生の一部を真福院で住まわせていただいている。これはもう、生きる目的のための修行の場なんだなって、そう思っているんです。ほんとに。

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文:喜多舞衣 写真:山田康太


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