楳原秀典(TSUGI)

# # # # # # #

#2 誰かと一緒に暮らす、その理由。

職人やデザイナーが多いTSUGIのメンバーですが、その中で現在NPOの職員をしているのが、楳原秀典さん。元左官職人、アートキャンプの事務局を経て、現在に至るまで、何やらいろいろおもろい話があるそうで。楳原さんの仕事と住まいの遍歴について迫ってみます。

―楳原さんが職人を辞めて河和田に来るまでのおもろい話、聞かせてください。

楳原:左官職人といっても、工場や学校のような建物を手早く建てる世界だったので、将来的にくたびれる業界かもしれないな、という思いもあって。それで辞めたのもあるんですけど。
でも「次にこれがしたい」っていうのもなかったので、自分探しの旅に出ようじゃないか!と。

―自分探しの旅、ですか。

楳原:ロードバイクにバッグとかテント、寝袋を詰め込んで、出会いを求めて旅に出ようと思ったんですよね。で、その前に「ちょっと練習しよう」って思って、まず淡路島まで行ったんです。

―え、練習? “自分探しをするための練習”とかしちゃったんですか(笑)。

楳原:2日間で淡路島を周るプランだったんですけど、テントと寝袋持参だったんで、現地の人に「ちょっと一泊させてもらえません?」とか声を掛けない。それより「今日は何キロ行けた」みたいな、己との対話で終わってしまうと(笑)。「あかん。人と触れ合うこと避けてたら、今までと違う自分なんて見つからへん。僕、旅向いてへんな」って気付いちゃったんですよねぇ。

―旅に出る前の“練習の旅”で気付いてしまった。良かったのか悪かったのか…。そのあとは?

楳原:それでちょっとフラフラしていたら、アートキャンプの事務局が入れ替えの時期で、「事務局に入らない?」ってお誘いをもらったんです。「じゃあ1年間だけ」っていうことで、引き受けました。

―じゃあそこから河和田にどっぷりと。

楳原:京都の事務所とアートキャンプの拠点を行き来する生活でしたね。しかも、アートキャンプって、多い時は100人くらいの学生が一つ屋根の下で生活してるんですけど、正直、僕はその集団生活が無理で(笑)。

―え、ひとつの家に100人近く? 今の日本でそんな場所、あり得ます?

楳原:この地区って、福井の伝統的な造りをそのまま残している家が多くて、家の玄関も広い。田の字型をした8畳の和室が4つ、それが2階にも同じようにあるんで、家全体がかなり大きくて広いんです。それをさらに改装して、かなりカオスな感じになってますね。
たしかに仲間がいるから楽しいんですけど、やっぱり僕の限界は1週間くらいでした。

09_74A4517

10_74A4522
ところかまわず洗濯物が干してあるあたり、アジアの長屋のようでカオス感満載

11_MD_2586
お年寄りが歩いている横で、学生たちが佇む様子は、河和田の“夏の風物詩”

―でも、今は違う職場ですよね。

楳原:そうです。事務局の任期が終わる頃、ちょうど今所属している「エコプラザさばえ」というNPOが求人をしていると聞いて。アートキャンプでも、林業や環境とアートを絡めたプログラムが多かったので、それを職業としてできるのも面白いかなと思って、今の仕事に就きましたね。

―なるほど。とはいえ二拠点生活で、このまちに“自分の家”がなかったんじゃ?

楳原: そのとおり(笑)。いろいろ探してみたんですけど、単身者が住めるようなワンルームの物件があんまりないし、そもそも賃貸不動産の感覚がないところなので、ちょっと住みたいだけなのに、建物ごと込みで100万払って、とか。そんな話になるので決めかねてたんです。

―月額家賃とか、ひと部屋借りるというレベルの話じゃない、と。

楳原:それで、アートキャンプの拠点の隣に、学生含め関係者がいつもお世話になっている丸山さんっていう名物おばあちゃんが一人で暮らしてらっしゃるんですけど。ある日何となしに「いま、家探してるんですよね」って相談したら、「じゃあちょっと2階、見てみるか?」って。

―その流れ、もしかして。

楳原:それで2階に連れて来られてひととおり案内されて、「家が見つかるまで、しばらく居てもいいよ」って。それで電気・ガス・三食付きで、家賃25,000円。
そこから今、もう3年ほど経っちゃってますね(笑)。

12_74A4562

―3年。“しばらく”の定義が揺らいでしまいそうです。それにしてもすごい立派な家ですね。

楳原:季節によって咲く花々も違いますし、昔、防空壕だった場所もそのまま残っています。
家の廊下も漆塗りで、自分の家の山から切り出した木材を使ってもらったとか。
そうだ、僕が借りてる部屋、見ていきますか?

―うわ、広い。そしてこの借景。もう、下手な旅館よりもいい眺めですよね。
これは、一人暮らし用の物件では無理ですよ。

楳原:今まで、シェアハウスとか、共同下宿とか、アートキャンプのカオスな一軒家とか、これといった拠点がないゲリラ的な生活をしてきたんで、気付けば、“契約して何かを借りる”みたいな生活から、いつの間にか解放されてたな、と。

13_74A4604
2部屋、間借りしている楳原さん。荷物が少ないのは、多拠点暮らしの名残だろうか

―“持たない楽さ”。それって、自分の中で心地がいいんですか?
完全な自分のテリトリーじゃないから、遠慮がつきものかと思うんですけど。

楳原:たしかに、プライベートな部分が減ったりもするんですけど、でも僕、わりと引きこもるタイプなんで、完全に“自分の場所”みたいなものがあるとそこに閉じこもってしまう(笑)。だから、ちょっと誰かに監視されてる、誰かの生活が入り込んでるぐらいのほうが、
ちゃんと人間らしく生きていけるってのがわかったんです。

―意識的にそういう生活をしている部分がある、と。

楳原:ないわけではないですね。たぶん、自分がこの家で暮らすという選択をしたのも、せっかく河和田に来ても、自分一人で閉じこもって生活しちゃったらどこでも一緒やん、て。
それよりも、誰かと一緒に暮らせることのほうがうれしいし、面白いだろうって。

t03_maruyama
TSUGIのメンバーで丸山さんを囲んで

―単純な疑問です。大家でもある丸山さんは、なぜにそんなにウェルカムな人なんでしょう。

楳原:ちょうど豪雨災害があった後くらいかな。近所のお宅3軒くらいの同じ年代の方で集まって、お昼と晩のごはん2食を丸山さん家で食べて、お風呂はまたみんなで違う家に入りに行く、みたいな。丸山さん自身、そうやってすでにシェア生活をされていたんです。それが、僕がすんなりと受け入れられた理由かもしれないですね。

―あぁ、なるほど。そういう近所付き合いのカタチがあってこそのウェルカムぶり。

楳原:丸山さんもほかの高齢者の方も、それぞれ息子さんたちが都会に行ってしまって、自分たちだけがこのまちに住んでいるということもある。そんな中で、自分たちがよりよい生活をするために集まって食事するだけでも、「ご飯を作る気になる」って言ってましたね。

―じゃあ、楳原さんと住んでいることは、丸山さんにとってうれしいことなわけだ。

楳原: 互いに、深く干渉し合わない関係性がうまくハマったというかんじかな。
でも、僕が丸山さんのところに住めているのは、ある意味“社会問題だ”と思うんですよね。

14_MD_2647

丸山さんのご厚意100%かと思いきや、誰かと一緒に住みたいというのは双方の想いだったなんて。次回、それがなぜ社会問題につながるのか、詳しくお聞きします。


THE BORROWERS

借り暮らし、貸し借り、賃貸にどんな可能性がひそんでいるのか。多彩に活躍する方々へのインタビュー取材を通してその魅力に迫ります。いいところ、大変なところ、おもしろさ、面倒くささ…きっといろんなことが浮かび上がるはず。