「こっとう画餅洞」で聞いた、
ものと建物に宿る価値

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気軽に入れる骨董屋という役割

京都の骨董品屋さんというと敷居が高いイメージを抱きがちですが、画餅洞の入り口近くには1000円以下で買える品物も並んでいて、初めてでも気軽に入りやすい雰囲気です。実際に、年配の方だけでなく大学生のお客さんも多いのだそう。

ふたりで「こっとう画餅洞」を営む、服部元昭さんと朝日久惠さん。

朝日:表のほうに置いている数百円のものは、古陶磁や仏教美術を中心に扱っていらっしゃるご同業の先輩方に言わせると「いつまでこんなん扱うの?」というものなんですけど。やっぱり初めての方にとっては骨董屋に入るとっかかりになると思うので、意識的に並べるようにしています。自分たちでも好きなものですし。

服部:初めて興味を持たれた方が気楽に行ける骨董屋って、案外少ないんです。露店は楽しいけれども玉石混淆で、初心者の方にとっては選ぶのが難しいところがあるようにも思います。安心していろんなものを見られて、ガラスコップひとつでも気軽に買えるお店っていうのがうちの理想像ですかねぇ。自分たちにとっては、ごくごく当たり前のことだと思うんですけど。

一時期は、高価な古美術を中心に扱おうとしたこともあったと語る服部さん。でも、買いやすい値段のものに対する選択眼が甘くなってしまい、それは違うという結論に達したそうです。

服部:むしろ、安くて小さいものにこそ新しいお客さんが潜んでいるような気がしています。「骨董の世界に未来はない」って悲壮感あふれる同業者もいますけど、うちの店に来てくれる若い人を見ていたらそんなことまったく思わない。ものづくりをする人やアーティストもすごく増えていて、骨董から着想を得て新しい作品をつくったりしている。
僕ら骨董屋が買いやすい値段のものをおろそかにしてきたから、新しいお客さんが入りにくいっていう部分は多いにあると思う。

桃山~江戸初期にかけての陶片は、隠れた売れ筋商品。箸置きや陶芸の参考品など、さまざまな用途で買っていく人がいるそう。値段に500円〜5000円という幅があるのもおもしろいところ。

値段は自分たちの価値観で

店頭には、古墳時代の弥生土器もありました。お値段は2万2000円。博物館に並ぶような貴重品にしては、ずいぶん安いような気がします。

高度成長期からバブルにかけて大量に発掘された土器。当時購入した人が高齢になったことで再び市場に戻ってきているそうです。

服部:土器は圧倒的な時代感を持つ楽しい世界なんですけど、買う人が少ないんですよね。よほどの優品や完器でない限り、手頃な値段のものであれば贋作がほとんどないところも魅力なんですが。

―骨董品の値段はやっぱり、人気によって決まるのでしょうか。

朝日:それもありますけど、その分野のものにはお金に糸目をつけないという収集家が1、2人いるだけで値段が上がることもあります。おもしろい世界ですよね。

服部:昔から大収集家が惚れたものは値段が変わりますよね。最近は中国の富裕層の影響も大きくて、相場が乱高下しています。それをしっかり把握しているとプロっぽいんですけど、それだけに振り回されているとおもしろくない。自分の思い入れで高い値段をつけると最初は笑われるんですけど、後になってそれが相場と一致することもあります。
結局、「自分は何が好きか」ということをしつこくやっていれば、流行や相場に影響されないお客さんがずっと来てくれはるんやと思います。

ものが残ってきた理由は怖さよりも

骨董品といえば、ものが運や不幸を呼びこむといった話を聞くこともあります。たくさんのものを扱っていると、いわくつきのものに出会ったりすることもあるのでしょうか。

服部:僕はそこらへんの感覚が鈍化してしまっているのか、純粋に古い美しいものとして見ています。ただ、ものに宿る念のようなものはあると思う。「謂れ」や「箱書き」があるように、日本人はとくにそれを大事にしてきましたから。
そんななかで、長い年月をかけて人づてに残されてきたものには、ほとんどの場合、いい方の念しか宿っていないというのが僕の考えです。「捨てる」「残す」の選択を迫られたとき、残した理由っていうのは、やっぱりポジティブな思いじゃないでしょうか。

朝日:手にした瞬間に怖さを感じるようなものって、だいたい供養されたりお祓いされたりするんですよね。

服部:この世界に入って最初の頃に怖いかなと思ったのは、骨壺。中世の壺で花を生けるのにちょうどいい容器って、ほとんど骨壺なんですよ。でも、よく考えたら中世は土葬が普通で、骨壷に埋葬されるのなんて聖人や貴人だけ。だからお骨というか、もはや舎利、ありがたいものです。今はたとえ骨壺でも、壺の美観そのものにおもしろみを感じますね。

小さな仏像や、そのパーツもたくさん。仏教徒でなくとも、美しい彫刻として部屋に飾りたくなります。

ほどほどに見せるディスプレイ

ガラスコップ、仏像、陶器など、さまざまなジャンルのものが置かれている店内。不思議と雑然とした感じはなく、それぞれのものがあるべき場所に収まっているような印象を受けます。ものを陳列するとき、気をつけていることはあるのでしょうか。

木製の脚立に廃材を渡したシンプルな什器。天井のハロゲンライトで照らし出されています。

服部:あまりにこだわりすぎると、お客さんのイメージを固着してしまうことにつながるんです。ここで見たときのイメージが強すぎると、マンションなんかに持って帰ったときにがっかりされてしまったり。だから、台をつくるときなんかはやりすぎないようにしています。

朝日:照明の影響もありますよね。電光色と太陽光とでは見え方も全然違うので、お客さんには必ず太陽光でも見ていただいています。店にあったときが一番カッコよかったっていう状態は避けたいですね。

服部:かといってあまりにも重ねて置いたりするのもかわいそうやし。ほどほどに、やりすぎない程度に考えて並べています。
「どこに置いてもいいもんはいい」と言えるのが理想ですが、そうでもない。置く場所が変わればゴミのように見えてしまうものもあります。この室町時代の狛犬なんか、砂利の上に転がしたら流木にしか見えないんじゃないかなあ。

風化が進んでいるものの、ぎりぎりのラインで形を保っている狛犬。

現代の空間にこそ骨董品を

築100年の建物を改装した店内には、骨董品がよく似合います。でも、「新しい空間に置くのもおもしろい」という服部さん。

服部:古い空間に古いものを置いても当たり前。最近ではむしろ、いまどきのありきたりといわれるくらいのマンションなんかに置いてみたいという気持ちがあります。

朝日:マンションにお住まいのお客さんから飾っている様子を写真で見せていただくこともあるんですが、みなさん白い壁のなかにもきれいに置かれていますよ。

服部:団地に住んでいた先輩もいますが、古いもんを要所要所に取り入れてものすごくカッコよくしていました。そんなに大層なことはしなくても、後ろの壁に古布や和紙を1枚かけるだけでも床の間のような場ができる。下にお盆とか、枯れた板を敷いてもいいですし。ものが持っている力だけで、空間の雰囲気は劇的に変わりますよ。

こっとう画餅洞
服部元昭、朝日久惠が営む骨董品店。数百円から数十万円まで、実用性の高い焼き物やガラス製品から、民具、置物、陶片など、幅広くも思いがけない品がそろう。

●京都市上京区今出川通六軒町西入 西上善寺町190-16/昼頃~19:00 ほぼ無休/075-467-4400

 
取材・文:牟田悠 写真:小檜山貴裕 編集:竹内厚


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