手放すことで出会いがある。
変化を楽しむ、綿野かおりさんの暮らし方。

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思いがけないアクシデントをチャンスに変えて、東京から京都へ移住してきた綿野かおりさん。お話を聞いていて驚かされたのは、変化を恐れず、新しい出会いを積極的に楽しもうとする姿勢です。自分の気持ちに素直に生きる彼女に、住まいの遍歴をお話してもらいました。


同時に失った家と仕事。生まれ育った東京を離れるタイミングとは

東京で生まれ育った綿野さんが京都に来たのは、32歳のときでした。

綿野:一人暮らしをしていたアパートの取り壊しが決定したんです。そんなに急ぎではなかったんですが、出ていかないといけなくなって。それとちょうど同じタイミングで、勤めていた会社も解散することになったんですね。

突然、家も仕事も失うことになるとはかなりショッキングな出来事に思えますが、綿野さんは前向きな人生の転機として捉えたようです。

綿野:家も仕事も、東京でならいくらでも探すことはできたでしょうけど、それは「なんか違う」と思ったんです。東京と再契約するんじゃなくて、今までとは違うことをするほうがいいような気がしました。

東京を離れる。そう決断した理由は何だったのでしょうか?

綿野:もともと東京を離れてどこかに行きたいなとは思っていたんですけど、生まれ育った場所だし、進学や就職でも出ることがなかったんですね。「このままずっと東京に住み続けるのか?」という疑問を抱きながらも、機会がありませんでした。
でも、2011年に東日本大震災が起こって。直接被災したわけではないんですけど、価値観が変わるきっかけになった気がします。周りにも移住する人がすごく多くなりました。
それで、次に暮らす場所を探すために別の地方へ移住した知り合いを訪ねて回ることにしたんです。東京を離れてから、どんな暮らしをしているのか見せてもらいました。

そんな中、移住していた友達のひとりが、京都に引っ越してきていたそうです。

綿野:京都には旅行でなら何度も遊びに来ていたんですが、「暮らす」という目線で見たことはありませんでした。でも、しばらく滞在して友達と一緒に自転車であちこち巡りながら、「野菜はここで買ってるんだよ」とか「ここは変な店なんだよ」とか案内してもらっているうちに、なぜか「ここでなら暮らせるなあ」って思ったんです(笑)。

自分の直感にしたがって、京都への引っ越しを考え始めた綿野さん。不思議な縁に導かれるようにして、住む場所もトントン拍子に決まったといいます。

綿野:その友達が映画監督を紹介してくれたんですけど、一緒に食事をしながら「私も京都に来たいな」っていう話をしたら、「うちのオフィスの2階が空いてるから住まない?」って言ってくれたんです。その足で見に行ったら、オフィスというのは京町家でした。そこでまた「ここなら住めそう」と思って、間借りすることにしたんです。
この監督との出会いがなければ、実際に引っ越してくることはなかったかもしれません。監督も、一緒に仕事をしているスタッフもすごくエネルギッシュな女性で、2人とも食事のときに大盛りパスタを頼んでいたんですね。その姿に頼り甲斐を感じてしまって、「この人たちと一緒にいたら私も生きて行けそう!」と確信しました(笑)。

以前は映画に関する仕事をしていた綿野さん。間借りする部屋を初めて見たとき、映画の『寅さん』を思い浮かべたそうです。

常に人の気配を感じ続けた、初めての「間借り」

綿野さんが京都に引っ越したのは、移住した友達のところへ遊びに来た1ヶ月後。スピーディーな展開に驚きますが、新しい土地で暮らすことへの不安などはなかったのでしょうか?

綿野:それが全然なくて、新しいことをするのがとにかく楽しみでしたね。仕事もなかったのに、なんで不安がなかったんだろうと今は思いますけど(笑)。
現実的なことを言うと、しばらくは失業保険と貯金で暮らしながらゆっくりするつもりだったんです。東京だとちょっと心もとなかったんですが、京都で間借りをして暮らすなら出費も抑えられそうだなと思っていました。

マンションでの一人暮らしとは違う「間借り」という暮らし方に、心配はありませんでしたか?

綿野:みんなは1階で仕事をしていて、私は2階に住んでいたんですけど、朝9時すぎまで寝ていたりすると下ではもう動いているんですね。洗面所なんかは共用で1階にあったので、寝起きだってバレるのが恥ずかしくて顔を洗いに行きづらい…ということはありました(笑)。
でも、そういうちょっとした不便よりも、常に誰かの気配を感じられるというのが、見知らぬ土地に来たばかりの私にはありがたかったです。みんな気さくに「最近どう?」と声をかけてくれるし、1階から「ランチ行くー?」って大声で誘ってくれたりもして。楽しかったですね。

実は、部屋を貸してくれていた映画監督やスタッフも、別の土地からの移住者だったのだそうです。そのことも、安心して暮らせる理由のひとつだったそう。

綿野:東京と京都だと、感覚が違う部分ってやっぱりあると思うんですよ。私ひとりだと戸惑うこともあったようなことも、オフィスの人たちに話して「わかるわかる」って言ってもらえるのは安心できましたね。

ほかにも、美味しいお店や楽しいイベントをたくさん教えてもらったし、いろんな人にも紹介してもらいました。おかげで、京都の出だしの1年はすごく好調だったんです。

2階建ての一軒家で「開かれた暮らし」を実践してみた

映画制作のオフィスが移転することになり、綿野さんは再び引っ越しすることになりました。仕事も見つかって生活のベースが固まっていたので、今度は間借りではなく自分で家を借りてみることに。
京都で2番目の住まいに選んだのは、2階建ての一軒家だったそうです。

綿野:ルームシェアするつもりで、大きい家にしました。同居人がいるとまたいろんな話ができるし、楽しいかと思って。
1階にキッチンとお風呂、トイレなんかの共有スペースと、6畳の部屋がひとつ。2階には2部屋あって、それを私と同居人の自室にしていました。

京都には単身者向けのマンションもたくさんありますが、どうして一軒家を選んだのでしょうか?

綿野:東京と同じような暮らしは、もういいかなと思ったんです。ワンルームマンションの密室に住んで、隣の人のこともよく知らない。それはそれでいいところもあるだろうし、異を唱えるわけではないんですけど。
東日本大震災が起こったとき、放射能のニュースがたくさん流れてきてすごく頭でっかちになってしまったことがあったんですね。それで、ドアとか窓に目張りをしようとしたことがあったんですけど、ふと「私、この中でひとりで死んじゃうの?」っていう疑問がわいてきて。小さな棺桶の中にいるようなイメージを持ってしまって、すごく怖くなったんです。だから、また小さい部屋を借りるということには惹かれませんでした。

綿野:あとは、せっかく京都にいるんだから、オープンにいろんな人と関わりながら暮らすということを経験したかったというのもあります。人を呼ぶにも気を遣う狭い部屋よりも、いろんな人が入り込める余地がある家の大きさがいいなって。
京都でできた友達のなかには、住み開きをしてみたりとか、開かれた暮らしをしている人が多かったんですね。それを近くで見ていたから、自分でもやってみようと自然に思ったのかもしれません。

その一軒家ではずっと同じ同居人と暮らしていたわけではなく、ひとりで住んでいたこともあったといいます。そのとき、家賃を補うために始めたのが「Airbnb」。空き部屋を貸したい人と借りたい人をつなぐWebサービスです。
1階の部屋を貸すことにして、宿泊者は女性限定。2年間で15人ほど受け入れたそうです。

綿野:泊まってくれた人とは積極的に交流しようとしていたわけではなかったんですけど、たとえば私が台所にいると「何してるの?」と話しかけてきてくれて、そのまま夜中立ち話をしたり。家の中でそんなことが起こるっていうところがおもしろかったですね。


THE BORROWERSとは

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