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“批評しない批評集団”“下町批評のナポレオン”など、いろんな称号で呼ばれている一般批評学会。これを主宰する岩淵拓郎さんが、「作品を借りて何か言う」ことの面白さについて、あれやこれやのたとえ話をひきながら教えてくれました。思わず、LINE MUSICにログインしたくなるかも!?

「突然、アイツから歌が届いた。」
 あの男女比から察するに、おそらくユルめの文化系部活といったところでしょうか。夏休みの合宿はおろか練習の予定もなく、「どうする?」「みんなで花火とか行っちゃう?」的な流れで盛り上がり、その瞬間から水面下の熾烈な恋の駆け引きが始まるわけです。もちろんその駆け引きには休戦などなく、花火大会のまっ最中ですら、気を抜くと一番ノーマークだった女子が男子にLINEで曲を送ったりするわけです。まったく油断も隙もあったもんじゃないですね。って言うか、LINE MUSICのあのCM、ほんとサイコーです。

動画の公開は終了しています。

 しいてツッコむところを探すならば、送られた曲が西野カナ「好き」っていう、タイトルからして身も蓋もないというか、ただただ出落ちというか、とにかく「聴くまでもない感パネェ」ってことでしょうか。実際CMでは、スマホの画面で曲名が表示されたとたん、男子の脳内で「キミが 好きだと 気づいたーんだ」っていう、あの毒にも薬にもならないサビが鳴り響きます。つまりは記号=スタンプとしての「2015 夏のアンセム」ってことなんでしょう。しかしせっかく送るならもうちょっと含みのある曲のほうが、多感な男子はより混乱して素敵かなと思います。例えばジョナサン・リッチマンの「ザット・サマー・フィーリング」なんてどうでしょう。もしくは思いっきり振りきって、シャッグスの「フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド」とか。まぁ実際そんなの女子高生が男子に送ってたらビックリしますけどね。もしくはビックリする以前に、90年代にバイト代のほとんどをCDに突っ込んだ身として「いくらなんでもお前ら聴き放題すぎじゃね?」と小言のひとつも言ってしまうかもしれません。

 ちょっと遠回りしてしまいましたが、つまり何が言いたいかというと、「作品を借りて何かを言う」って話です。誰かに何かを伝えたいのにそれを上手く言葉にできなかったり、もしくは言葉にはできるけど口に出して言いにくかったりする時、誰かが作った作品にその想いやメッセージを託して伝えるということはままあることです。一番わかり易いのはやはり恋愛が絡むシチュエーションでしょうか。音楽、本、映画……いろんなかたちのいろんな作品に、甘かったり酸っぱかったりしょっぱかったりする気持ちが込められて、大好きなあの人や憎いあんちくしょうに送られます。かく言う私も20代の頃には3人の違う人からよしもとばななの『ハチ公の最後の恋人』を送られたりもしました。もちろん恋愛以外においても、例えば、もっと仲良くなりたい友人に自分のお気に入りのハードコアのCDをゴリ押しで貸すとか、悩める後輩に自分が感銘を受けた自己啓発本をプレゼントするとか、そういうことはあちこちで日常的に行われています。むしろ作品が意図的に誰かから誰かの手へ渡る時、そこには大抵何かしらの想いやメッセージが含まれていると考えるのが妥当かもしれません。

 「うわー、なんかチョーめんどくせー! チョーめんどくせー!」。
そのお気持ち、十二分にお察し申し上げます。しかしそんなことはさして憂慮するほどのことではありません。なぜならあなたが誰かにあげたりもらったり、貸したり借りたりした「作品」は、そもそもどのような解釈をも許容しうるものであるからです。つまり、そこにどのような想いを込められていようが、もしくは一切の感情が込められていないとしても、最終的にそれをうけとった人がどう解釈してもいいのであって、むしろそこで発生する齟齬こそが作品を介したコミュニケーションの醍醐味だとも言えるのです。

 話をわかりやすくするために喩え話をしましょう。あるアーティストが描いた「リンゴ」というタイトルの絵があります。しかしその絵はほとんどの人にとってリンゴには見えず、ある人には椅子、ある人にはコロッケに見えます。あなたはその絵を見て、猫の絵だと思い、きっとこの猫の名前がリンゴというのだろうなと勝手に解釈します。そしてその絵を猫好きの友だちにプレゼントします。しかしその友だちにはそれが猫ではなく犬に見えていて、しかし深く心を動かされます。なぜなら実は自分は猫よりも本当は犬のほうが好きで、でも住宅事情の関係で犬が飼えず、その反動として猫好きを過剰にアピールしているということを勘のいいあなたが見抜いたと考えたからです――。ってこれ、書きながら思いましたけど、ぜんぜんわかりやすい喩えじゃないですね。でもまあ「作品」というものはこういう状況をも余裕で許容するという性質を持っています。

 「性質」という言い方をしましたが、それは作品が作品として持っているもっとも基本的な機能だとも言えます。ちょっと考えていただきたいのですが、私たちはなぜ初めてのデートで映画館を選ぶのでしょう。それは作品の感想が人によって異なり、そのことが新たな関係性を生み出すきっかけになりうるからです。まだお互いをよく知らない、しかし惹かれあう者同士が、わざわざ暗闇と無言の2時間を費やすのは、その後に「へー、君あそこのシーンでそんなこと考えてたんだ。可愛いね」といった状況を引き出すためにほかなりません。決して、お互いの感想を照らしあわして正解をさがしたり、シネフィルよろしく「あの監督の前作は〜」とかいって相手を論理的に打ち負かすためではないのです。そしてこの場合もまた、わたしたちは作品を借りてコミュニケーションを行っていることになります。

 とまあそんな具合に「人の作った作品を借りて何か言う」ってことについてここ数年ぼんやりと考えているのですが、一つの実践として、友だちの誕生日に適当に選んだ音楽を送りつけるということをやっています。便利なのか面倒くさいのかわかりませんが、最近はSNSを開くと「今日は◯◯さんの誕生日です」というのが表示されるんです。で、なんとなく気が向いたら、iTunes Storeで1曲選んで、150円とか200円とかで買って送るわけです。選び方はほとんど適当なんですが、受け取った人の反応はそれぞれとても興味深いものがあります。勝手に自分の状況と結びつけて感動してくれたり、やたら聴きこんでガチガチの批評を送り返してきたり、ビミョーに気持ち悪がられてスルーされたり……。いやまあ、ホント言うと別に言いたいことなんてないんですけどね。これはこれで楽しい作品の楽しみ方だなと思います。

岩淵拓郎
1973年生まれ、宝塚市出身。宝塚市在住。屋号はメディアピクニック。2002年から美術家として活動(2011年に廃業)。現在は「一般批評」「ホームパーティーとクロスカルチャー」などのコンセプトを軸にプロジェクト型表現活動、各種メディアでの執筆と編集、コンテンツおよびイベントの企画・制作などを行う。2012〜2014年、宝塚映画祭総合ディレクター。趣味は料理(キリッ
http://mediapicnic.tumblr.com/

カリグラシコラム

そのことを仕事にしている人もいれば、普段の暮らしの中でモヤモヤとした思いが浮かんでいる人もいる。借り暮らしにまつわる意見や考えを、さまざまな人たちが自由なスタイルで綴ります。