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日本住宅公団で数々の団地やニュータウンの計画に関わってきた建築家の津端修一さん。1975年からは、自身が手がけた高蔵寺ニュータウンに土地を買い、家を建て、キッチンガーデンで折々の農作物や果実を育てながら夫婦で暮らしてきました。
映画『人生フルーツ』は、そんな津端修一さんと英子さんの暮らしに迫って大きな評判を呼んでいます。公開初日に映画を鑑賞したという緑地計画家の武田重昭さんに、津端さんとの思い出を綴っていただきました。

 
 

僕の手もとには、津端修一さんからの30通のお手紙と、英子さんからの2通のお手紙がある。
2009.11.30
津端さんに頂いた最初のお手紙には、

……お手伝いすることにしました。できるだけ貴意に沿うようにしたいと存じます。ごきげんよう。

とある。都市計画学会誌の取材でインタビューをさせて欲しいとお願いしたのに対して、お返事を頂いたものだ。その後、何度かご自宅にお邪魔して、取材というよりはむしろ丁寧なおもてなしを受け、人の暮らしをつくる仕事という都市計画の本質を教えて頂き、何通ものお手紙をやり取りさせて頂いた。

2015.05.29

最後のお手紙には

近況のご報告です。

とだけ短く記されていた。いつもは難解な文字を読むのに時間がかかるのだが、その手紙はめずらしく一言だけだった。そして、それまでの津端さんからのお手紙はきまって茶封筒だったのに、その封筒だけは真っ白だった。
そんなことに何も気づかずに、僕は普段通りにお返事をした(と思う)。今となっては何を書いたのかも思い出せないし、津端さんに読んで頂けたのかどうかを知る由もない。

2015.08.04
その日、英子さんから届いたお手紙も白い封筒だった。そして、はじめて読む英子さんの字は、津端さん以上に難解だった。本当に微笑ましいご夫婦だ。


映画『人生フルーツ』より ©東海テレビ放送

2017.01.14
映画『人生フルーツ』は、2014年5月から2年間におよぶ津端夫妻の暮らしを見つめたドキュメンタリーである。撮影が行われていた期間に、僕は津端さんからの26通目から30通目までの5通のお手紙と、英子さんからの2通のお手紙を受け取っているということになる。
 
大阪での公開初日の1月14日、スクリーンで久しぶりに津端さん夫妻と再会した。映画の中の台湾への旅や伊万里のクリニックの設計については、お手紙でその内容の一端を知っていた。そして、英子さんのお手紙からは、津端さんにもう二度とお会いできないことも知らされていた。だから、こんなふうにまたお会いできることになるとは思ってもみなかった。
 
撮影が行われた時間と同じ時間を僕も生きていた。そんな小さなつながりを感じながら映画を見た。スクリーンに映し出される津端さんご夫妻の暮らす家に、僕も身を置いたことがある。そんな小さな実感も映画を身近に感じさせた。僕の生きた時間と空間の一部が映画の中の物語として映し出されているような、そんな小さな親しみがあった。
でもそれは、僕だけが抱いた特別な感覚ではなく、そこで映画を見たすべての人たちが共有した感覚だったのではないかと思う。津端さんの生きた時間と空間は、きっと誰もがいつか経験したはずの、そして、いつか経験したいと願うような「なつかしい未来」の物語なのだ。


以上、武田さんの撮影写真より

2010.04.23
津端さんからのお手紙はいつも心を和ませてくれる。それと同時に、豊かに暮らすということを深く考えさせられる。

“春がまた来た。
大地は詩をおぼえた子供のようだ” リルケ『リルケ詩集』
キッチンガーデンは春。3月の風と4月の雨が美しい5月をつくるとある人の言葉。そうですよ。
 

2010.05.17

私の好きなタヒチ島のビール。「HINANO」は「乙女」の意。タヒチに行くと、ヨットの上では、必ず「ヒナーノ」をのんでいました。90才になったら、また行ってみたいなと思い出しました。

津端さんのこの夢は2013年、88歳で叶えられた。

2013.09.07

よくも、タヒチ・クルージングにでかけて帰ってこられたものです。こたえましたが、いまはたのしい思い出ばかり。2013年は<つばたさんちの、ルネッサンス>。すべてが新しくて新鮮です。“生きた、恋した、描いた、88年の夢” 人生の最後に青春がきたらなあ、がホントになりました。みなさんのおかげ。ありがたいことです。

本当に思春期の青年からの手紙のような悦びであふれている。

2014.10.22

サマセット・モームは91才でなくなりましたが、
「私の目論んだ人生模様が完成した日」と書きのこしています。
私も、自分でつくった町に住み 自分の敬愛するレーモンドの家をたて
ひでこさんが小さい時から心をこめた雑木林とキッチンガーデンと丸太小屋に、プレゼント大好き、おもてなし大好きの暮らし。あと1年で、モームにおいつきますね。

残念ながら、津端さんはモームに追いつくことはできなかった。でも人生模様が完成する様子は、すべてこの映画に収められている。映画が公開された日、津端さんの目論みはモームをはるかに追い越した。

2012.07.24
いつも楽しい津端さんからのお手紙だが、一度だけ厳しい激励を頂いたことがある。それは、ちょうど僕の37歳の誕生日。

武田さん、いろいろの資料ありがとう。でも、あなたが、これから一生をかけてつくりだそうとする<暮らし>のメッセージがないのが心配です。学会を背景にしたり、学閥をかくれみのにしたり、多数の一人として発言したり…<集団をなす生物は弱い>といわれます。
「我々は…、都市は…」ではなく、「私は、ここにいる」と宣言できる強さをもってほしい。

あれから、4年半。僕は少しは強くなれただろうか。
津端さんに教えて頂いた都市計画とは、多くの人たちと暮らしの豊かさを共感し、その輪を広げていくこと。どんな手段でまちをつくるのかではなく、どんな暮らしを実現するのか。それがまちをつくるということの本質だ。そして、まだ見ぬ豊かな暮らしを描き出し、自ら実行し、伝えていくこと。それが津端さんから受け取ったバトンの意味だと思っている。

2010.01.22

バトンタッチ! あとはお願いしますよ!
 

―これは、映画を見たすべての人に対するメッセージだ。
 
映画館のスクリーンを通して、多くの見ず知らずの人たちと津端さんからのメッセージを共有することで、豊かな暮らしの輪が広がっていく、その瞬間を体感することができた。映画がはじまる前にはただの他人同士でも、映画が終わったあとの映画館は、なんとなく優しい連帯感に包まれていた。そこにいるすべての人たちが津端さんからのバトンを受け取ることで、豊かな暮らしの期待に満ちている。
だから、この物語は映画館で多くの人と一緒に見るのがいい。手段は違えど、映画も都市計画も目的は同じなのかもしれない。
 
人は直接的にも間接的にも誰かと関わりあいながら生きている。多くの人の暮らしが豊かになることで、個人や家庭だけでなく、まちや社会が変わっていく、そんなきっかけになるような生き方をしたい。そう改めて感じた。いまの暮らしという時間と空間を丁寧に生きることで、胸を張って「わたしはここにいる」と言えるように。
 
皆さんも、ぜひ津端さんからのバトンを受け取り、それぞれの暮らしのなかでゆっくり育て、そして、次の世代につないでいってもらいたい。

武田重昭
1975年生まれ。大阪府立大学大学院修了後、2001年よりUR都市機構にて屋外空間の計画、設計に携わる。2013年より大阪府立大学大学院 緑地計画学研究室助教。著書に『パブリックライフ学入門』(共訳・鹿島出版会)ほか。

 
映画

映画『人生フルーツ』より ©東海テレビ放送

『人生フルーツ』
高蔵寺ニュータウンの中、雑木林に囲まれた木造平屋建てに40年暮らしてきた、90歳の津端修一さんと87歳の英子さん。ふたりの日常を、2年間通いつめて撮影された映像で構成。「人生はだんだん美しくなる」という言葉そのままの暮らしに、過去や未来への思いなども重なって見えてくる。大反響を呼んで、現在、上映劇場が増加中。
http://life-is-fruity.com

カリグラシコラム

そのことを仕事にしている人もいれば、普段の暮らしの中でモヤモヤとした思いが浮かんでいる人もいる。借り暮らしにまつわる意見や考えを、さまざまな人たちが自由なスタイルで綴ります。