# # #

「団地と京都って似ていると思うんですよね」。
先日、恵文社で行われた『#カリグラシ』と『団地のはなし』の団地本刊行記念トークイベントで、こう2回も発言したものの、全くウケなかったので、リベンジとしてここに記したい。

団地と京都。建造物と都市をパラレルに語ること自体、無理があるとは思う。だけど、団地には東京都の公社に2年間、京都府の公社に3年間、合計5年住んだ経験がある。京都暮らしは2014年からの3年と、両親6代前までの血を引いている。双方に結構な時間身を投じてみたからこそ、似ているなぁと思ったりする。

まず、普段はつかず離れずな距離だということ。洗濯物の干し具合や植木の水やりとかで、会わなくても、日々気配を感じとっているので、お隣さんが健康に暮らしているかくらいは分かる。軒先のサボテンが枯れそうで、ちょっと心配になれば、回覧板を回すときに顔を合わせられる。わざわざ「大丈夫ですか?」とお伺いを立てなくても、会っていい理由がある。
そして、いざとなった時に心強い。東日本大震災の時、東京の団地に住んでいたのだが、23区内なのになぜか私の団地だけ水が止まった。そこで、1階の散水栓から水を出したのだが、一番若い5階に住む私が大活躍。みんなのバケツをいっぱいに水を汲んであげられた。京都の路地でも「防火用」と書かれた赤いバケツで防災意識を強め、変な人が入ってきたらすぐ分かると聞く。
監視してはいないけど、何となくみんながみんなを気にしている関係。ここが団地っぽくて、京都っぽい。

それとマインド。ここに暮らしていることに誇りを持っているのだけど、決して主張が強いわけではなく、全体を担っている構成員だという認識でいること。
これは、中年の団地否定世代でもなく、私たちのような1周回って団地肯定世代でもなく、元祖団地世代であるお年寄りに多いと思う。彼らはやはり、少なからず団地に暮らすぞという意思をもって住み始めたし、それがいまだに消えていない。決して大声で言うことは無いけど、会話の節々でその自負が垣間みれる。その気持ちを維持できるって、団地以外の賃貸住宅ではなかなかあり得ないことだと思う。
そして同時に、共同体の中の構成員にすぎないという認識もある。これまでの歴史を受け継ぎ、これからの未来にバトンをパスする、その一部分を自分が担っていることへの誇り。これは尊い。だからこそ、自分より年寄りの人や歴史・文化を敬うし、一方で学生や子供に異常に優しい。これは京都人からも良く感銘を受けることだし、東京の団地人からも私は多く学んだことでもある。
隣の棟に双子の幼稚園児のファミリーが入居し、完全に団地のアイドルになった。京都の市バスに乗っていると、子連れのお母さんがいたら、隣に座ったおばちゃんがたいてい子供に話しかける。お隣のおばあちゃんが、階下の足の悪いおじいさんの手を取って、団地の敷地内のスーパーから出てきたこともあった。地蔵盆は、地域の子どものためにおばあちゃんがはりきって朝から支度する。庭木を手入れしてくれる業者さんに毎回お菓子を手渡す女性。団地内にあるデイサービスのお年寄りに、団地のおじいちゃんが「おじいさん…!」と自ら話しかけに行く。

団地の話か京都の話か、分からなくなってくる。
こうして見ると、やっぱり、団地と京都って似てると思いません?
 

岸本千佳
1985年京都生まれ。建築を学んだ後、東京の不動産ベンチャーに勤務、2014年より京都に戻り、addSPICEを設立。不動産の企画・仲介・管理を行う。改装可能物件サイト「DIYP」など、不動産の有効活用の立場から、豊かな暮らしを提案中。著書に『もし京都が東京だったらマップ』(イースト新書Q)。

 

カリグラシコラム

そのことを仕事にしている人もいれば、普段の暮らしの中でモヤモヤとした思いが浮かんでいる人もいる。借り暮らしにまつわる意見や考えを、さまざまな人たちが自由なスタイルで綴ります。