築50年を超える文化住宅「前田文化」を「壊すでもなく、作るでもなく」さまざまに活用。もと力士が壁を解体したり、劇団による解体公演、解体工事の騒音と楽器演奏による「騒音コンサート」など。
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9月15日

朝9:00から西面の外壁をハンマーで叩き始めました。野崎君は今年の1月に実施した「騒音コンサート」の解体職人として出演した時に散々外壁を叩いていたので作業が早かったのですが、僕はコツを掴むまで時間がかかりました。バコンバコンとまんべんなく叩いて少しずつモルタルに亀裂を入れて弱らせていき、手で運べる大きさになるように壊していきます。地震が起きた時、すぐに「緊急助成」として支援をしてくれた「おおさか創造千島財団」の北村さんも瓦礫を土嚢袋に入れる作業を手伝ってくれました。今回、前田文化は「一部損壊」という判定で、自治体からは微々たる見舞金しか出ない中、千島財団は「唯一無二のクリエイティブを展開する前田文化の活動を継続させたい」と何の審査もなく速攻で助成金を交付してくれました。何より、北村さんのような人が現場にも来てくれるというのは本当にありがたいことです。
その後も、たくさんの人が来てくれました。作業自体は何の面白みもない、外壁を叩くか、瓦礫を拾うか、瓦礫を土嚢袋に詰めるか、という3択しかありません。ダメージを受けた文化住宅に、さらに負荷をかけるように叩いて叩いて外壁を落とす。叩かれるほうも叩くほうも、みんな辛い。しかしその負荷を乗り越えれば、とてつもなくその身体は進化するはず。高校生の頃の部活で聞いた筋トレ用語である「超回復」という言葉がその感覚にピッタリだったので、このプロジェクト名を「前田文化超回復/補修と補強のプロジェクト」としました。
夜は、野崎君と前田文化の専属スタッフとして加入してくれた奥井さんが企画してくれた「超回復BAR」が期間限定で始まりました。この日一番うれしかったのは、家庭の事情で身動きがとれなくなっていた橋口君という高校の頃からの友人が率先して作業をしてくれたことです。僕が職人時代に使っていたニッカポッカを履いて汗をかき、「作業服が似合ってるな~」と言われると「俺は太陽と共に生きたい! 職人に向いてる!」と意気込んでいました。「明日もこのズボン借りるわ!」と言って帰っていきました。

9月16日(おまけの1日)

「明日もこのズボン借りるわ!」と高揚した口調で言っていた橋口君は、作業開始の時間になっても姿を見せませんでした。きっと、彼は昨日の作業ですべてを出し切ってしまった、回復どころの騒ぎではないくらいに負荷をかけすぎたのだと思います。
野崎君と、鳥取から駆けつけてくれた「パーリー建築」の宮原君と、僕の妻との4人で北面の外壁を一気に落としました。重いハンマーを振り続けて腕がパンパンになっていたのと、この日の朝に歯を磨いていた時に下の前歯の裏側が欠けてずっと歯がスースーする状態の気持ち悪さもあって、少しメンタルが良くなかったと思います。大方の作業が終わって後はひたすら狭い場所で瓦礫を拾うだけの過酷な作業だったので、自分が率先してやらなければいけないと思って、休憩もあまりせずに一人で瓦礫拾いをしていました。すると野崎君が手伝いに来てくれた女の子を連れ、僕を茶化しはじめました。狭い文化住宅の隙間で背中を丸めて瓦礫を拾う様子がおかしいから、「顔をこっちに向けろ、写真とったるわ」と言ってくるのです。僕はちょっと苛立ちながら、野崎君に怖い顔を向けたのだと思います。その直後、野崎君は何も言わずに土嚢袋を持って、僕と同じ文化住宅の狭い場所で瓦礫を拾う作業を始めました。人の痛みを知ってる奴だからこそ、「遭難ファイター」に入っても気が狂わずに生還できたのだと思います。
橋口君は最後まで姿を現しませんでした。それだけが心配ですが、無事にけが人も出ずにこの週の目標は達成しました。協力してくれたすべての人に感謝します。次は解体した外壁に板を貼り付けていくという造作の作業が続きます。

2018年4月1日にスタートしたリレー日記です。1週間単位でさまざまな方に暮らしの日記を執筆いただいています。

カリグラシコラムとは

そのことを仕事にしている人もいれば、普段の暮らしの中でモヤモヤとした思いが浮かんでいる人もいる。借り暮らしにまつわる意見や考えを、さまざまな人たちが自由なスタイルで綴ります。