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気になるプロジェクトを次々と連発している陸奥賢さん。あっという間に『#カリグラシ』を読了して、その日のうちに以下の感想をいただきました。なお、UR都市機構の団地ではペットの飼育は一部の団地(ペット共生住宅)を除き認められていませんので、あしからず。


カリグラシというのは、
人間の、本然の姿なんやと思う

text by 陸奥賢(観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者)

ぼくは生まれたんは住吉の長屋ですが、2歳頃から長らく団地に住んでまして。15歳で親への反抗期とか、学校へのアンチとか、自分へのイラダチとか、バイトの面白さとかで、団地を出ていきましたが、まぁ、やっぱり、ぼくは、団地っ子ですな。団地の思い出話はいっぱいある。

ひとつ、団地の思い出話を書くと、ネコかな?

ぼくは両親と弟と一緒に、303号室に住んでたんですが、目の前の304号室の、たっくんのおばちゃんの家に、ミーコというネコがいまして。彼女は、たくましいネコやった。団地の各部屋にはベランダがあって、それは薄い壁で仕切られてますが、その下の排水溝を潜り抜けて、ミーコは、いろんな部屋をお邪魔するんですな。ベランダで、ミーミー鳴くんですわ(だからミーコと名付けられたんですな)。そこで、団地のいろんな人からエサを貰う。ぼくもマクドのナゲットをあげたことがあります。ムシャムシャ食べてましたな。ナゲット大好きでした。

うちのオカンは、ネコがダメで。アレルギーで。ペットを飼うのは絶対に許さないという人間でしたが、ぼくは別に、ペットを欲しいと思ったことがなかった。適当なときに、ミーコが来ましたから。ベランダで、ミーミー鳴き声がしたら、冷蔵庫をあけて、適当な食べ物をポイッとあげる。ミーコが食べる。ちょっと頭を撫でさせてくれる。食べているあいだだけはミーコは大人しい。それ以外のときに撫でようとしても、イヤそうに頭をふって逃げるんですな。それぐらいのふれあいで、ぼくのペット飼いたい欲は満足でした。団地はカリグラシの最たるもんやとや思いますが、これは「ネコのカリグラシ」ですな。

ただ、ミーコは、いろんなベランダにいって、いろんな人から愛されて、エサをようさんもらうもんやから、食べすぎまして。太って、はよ死にました。最後は、団地の階段で、横たわって冷たなってたらしいです。死ぬ間際に、熱でももってたんかな? 階段はひやっこい。そこに横たわると気持ち良かったんかも知れん。それで昇天した。

じつは、「カリグラシ」と聞いて、いっちゃん最初に、ぱっと出てきたんは、イノチのことでした。

心臓ちゅうんは、ぼくが寝とるあいだも、動いとる。手の指は「開け」と思えば開くし、「閉じれ」と思えば閉じるが、心臓は、ぼくが「止まれ」と思っても止まれへん。ぼくのカラダであるはずが、ぼくの意志ではどうにもならへん。ぼくの意志でないものに、ぼくの心臓は動かされ、生かされている。ぼくのカラダのような気がしているが、じつは、ぼくのカラダやない。どうやら、なにものかに、ぼくは、このカラダを、イノチを預けられて、それで、ぼくは、今日、ここにいるんですな。それで、この原稿を書いとる。このカラダは、イノチは、借りもんなんや。

そう。イノチですら、借りもん。いつか、これは、返さなあかん。

その事実に気づくと、要するに、世の中は、すべて借りもんやということに気づく。ぼくは一体、なにを所有してるというのか? あなたは一体、なにを所有しているというのか? それは、所有しているという錯覚に他ならない。ものごっついレコードコレクターは死ぬ最後に、大いなる、深刻なる溜息を吐くそうですな。ああ。この名盤、珍盤、迷盤を、あの世までは持っていけない。所有は幻想やということです。幸せな錯覚かも知れへんけど、やっぱり、錯覚や。

カリグラシというのは、人間の、本然の姿なんやと思う。至極、当たり前の、まっとうな姿。団地もネコもイノチも、今日も、ぼくは、なにかを借りて、生きている。いつか返さなあかんようになる日まで。

陸奥賢
1978年大阪生まれ。2008年10月から2013年1月まで大阪あそ歩(観光庁長官表彰受賞)プロデューサーとして活動。現在は「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」「歌垣風呂」「劇札」などを主宰。應典院寺町倶楽部専門委員。著書に『まわしよみ新聞のすゝめ』。

 

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