『URひと・まち・くらしシンポジウム』より
甲斐徹郎さんが語る
コミュニティを機能させる方法とは

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大阪で行われた『URひと・まち・くらしシンポジウム』の中から、建築・まちづくりプロデューサーの甲斐徹郎さんによる講演の内容を再編集してお届けします。暮らしの中でのコミュニティのあり方について実際のプロジェクトでのエピソードをまじえながら、実践的な話が語られました。

1. 「コミュニティは煩わしい」という本音

今回お話させていただくにあたり「未来の暮らし」というテーマをいただきました。こうしたテーマでは建築的なハードのことが議論されがちですが、私は徹底してコミュニティの話をしたいと思います。コミュニティのことを語るとき、その必要性を否定する人は誰もいないものなのですが、問題となるのは、コミュニティを住宅の事業の中に導入し、暮らしの中に位置づけようとしたとき、コミュニティへ関わることを否定的に捉える人がとても多いということです。コミュニティというものは、そうした難しい問題を抱えています。

私の仕事のひとつを例としてお話しします。2003年に「環境共生住宅」という考え方のもと、東京・世田谷の真ん中に「森をつくって暮らそう」という呼び掛けで、15世帯の家族が集まり集合住宅がつくられました。それは「欅ハウス」と名付けられ、中庭に残した樹齢250年のケヤキを中心にコミュニティを築きながら、すばらしい環境を実現させた住宅です。このプロジェクトを記録した映像を「コミュニティデザイン論」という大学の授業の中で学生たちに見せて、「あなた達は実際にここに住んでみたいと思いますか」と、私は必ず授業の初回に問いかけるようにしています。はたして何割ぐらいの学生が「住みたくない」とはっきりと言うと思いますか。
なんと、「住みたくない」方に手を挙げる学生の割合は、およそ6~7割です。大学でコミュニティデザインを勉強する学生たちですから、議論をさせればすべての学生が「コミュニティはいかに重要か」ということを論じます。にもかかわらず、いざ実際に暮らす場での話になると、コミュニティに対して否定的になるのです。それはどうしてなのか。その多くの理由は「煩わしそうだから」。これが本音です。社会的な縮図がここにあると感じます。つまり、コミュニティの重要さは誰もがわかっていますが、実際に自分の暮らしの中でと考えると、「それは煩わしい」と思ってしまうというわけです。

2. コミュニティが重視されなくなる社会構造

こうしたねじれた意識はどうして生まれるのでしょうか。私は、コミュニティが重視されなくなる社会構造があるからだと思っています。それは、「便利になればなるほど関係性が省かれる」という構造です。たとえば、昭和初期の食卓の様子を画像検索で探してみると、そこには多世代からなる家族が大勢で集まっていて、仲睦まじく食卓を囲んでいる様子が写っています。この頃は、大家族ゆえにこうした食卓の風景が当たり前だったと考えられがちですが、別の見方をすると、当時は薪から火をくべていたという調理器具の不便さが影響していたのだということがわかります。当時の調理器具は、今と比べてとても料理に時間と手間がかかるものでした。ですから、現代の暮らしのような「おなかがすいたから何かつくって」「じゃ、つくりましょう」という対応はできませんでした。料理をつくる時間、食べる時間は明確に決まっていて、そこに家族が集まってくるという方法でなければ成り立たなかったわけです。つまり、調理器具の不便さによって、密な人間関係が必然として生まれていたわけです。
これが現代になれば、たとえば、ファストフード店で複数の人が食事をしているという風景が象徴的ですが、その背景には、スイッチひとつで瞬間的に料理をつくることができる調理技術の進化があります。他人に左右されることなく、人々は自分のほしいものを自分のために、好きな時間に手に入れることができるようになりました。そして、隣りに座っている見知らぬ人と会話をすることもなく、誰もが孤立して食事をするようになります。こうして、便利になることで関係は省かれていくわけです。

そういう観点でまちを見直してみれば、昔は、互いに関係性を持ちながら、自分たちの暮らしを成り立たせていたということがわかります。たとえば、台風の通り道にあたる沖縄では、構造的に弱い木造住宅を台風から守るために各敷地の四方に防風林が植えられ、それが豊かな街並みをつくっていました。住宅が台風で壊れてしまうという不便さを補うことが、まち全体の環境を生みだしていたのです。ところが、沖縄では70年代に入ると住宅のコンクリート化が進み、台風に直撃されても住まいは壊れなくなります。その結果、住まいの周りに樹木を植えることはなくなってしまいました。
こうしたことの結果として、ひとは家の中に閉じこもり、外との関係は失われて、互いに協力するという人間関係も希薄になっていきます。テクノロジーの進化によって、便利さが増大する一方で、関係性は省略されていくということが、沖縄だけではなく全国いたるところで進んできたのです。逆にいうと、関係性を省くことが便利さなのだともいえます。昔は、他者との関係が煩わしいなんてことは言ってられませんでした。ところが、他者との関係を省略しても暮らすことはできるようになってきましたから、結果として、コミュニティが失われ、他者との関係は煩わしいという意識が生まれる。そうした社会的な構造があるのです。

大阪で行われた『URひと・まち・くらしシンポジウム』の中から、建築・まちづくりプロデューサーの甲斐徹郎さんによる講演の内容を再編集してお届けします。暮らしの中でのコミュニティのあり方について実際のプロジェクトでのエピソードをまじえながら、実践的な話が語られました。


1.「コミュニティは煩わしい」という本音

 
今回お話させていただくにあたり「未来の暮らし」というテーマをいただきました。こうしたテーマでは建築的なハードのことが議論されがちですが、私は徹底してコミュニティの話をしたいと思います。コミュニティのことを語るとき、その必要性を否定する人は誰もいないものなのですが、問題となるのは、コミュニティを住宅の事業の中に導入し、暮らしの中に位置づけようとしたとき、コミュニティへ関わることを否定的に捉える人がとても多いということです。コミュニティというものは、そうした難しい問題を抱えています。

私の仕事のひとつを例としてお話しします。2003年に「環境共生住宅」という考え方のもと、東京・世田谷の真ん中に「森をつくって暮らそう」という呼び掛けで、15世帯の家族が集まり集合住宅がつくられました。それは「欅ハウス」と名付けられ、中庭に残した樹齢250年のケヤキを中心にコミュニティを築きながら、すばらしい環境を実現させた住宅です。このプロジェクトを記録した映像を「コミュニティデザイン論」という大学の授業の中で学生たちに見せて、「あなた達は実際にここに住んでみたいと思いますか」と、私は必ず授業の初回に問いかけるようにしています。はたして何割ぐらいの学生が「住みたくない」とはっきりと言うと思いますか。
なんと、「住みたくない」方に手を挙げる学生の割合は、およそ6~7割です。大学でコミュニティデザインを勉強する学生たちですから、議論をさせればすべての学生が「コミュニティはいかに重要か」ということを論じます。にもかかわらず、いざ実際に暮らす場での話になると、コミュニティに対して否定的になるのです。それはどうしてなのか。その多くの理由は「煩わしそうだから」。これが本音です。社会的な縮図がここにあると感じます。つまり、コミュニティの重要さは誰もがわかっていますが、実際に自分の暮らしの中でと考えると、「それは煩わしい」と思ってしまうというわけです。

2.コミュニティが重視されなくなる社会構造

こうしたねじれた意識はどうして生まれるのでしょうか。私は、コミュニティが重視されなくなる社会構造があるからだと思っています。それは、「便利になればなるほど関係性が省かれる」という構造です。たとえば、昭和初期の食卓の様子を画像検索で探してみると、そこには多世代からなる家族が大勢で集まっていて、仲睦まじく食卓を囲んでいる様子が写っています。この頃は、大家族ゆえにこうした食卓の風景が当たり前だったと考えられがちですが、別の見方をすると、当時は薪から火をくべていたという調理器具の不便さが影響していたのだということがわかります。当時の調理器具は、今と比べてとても料理に時間と手間がかかるものでした。ですから、現代の暮らしのような「おなかがすいたから何かつくって」「じゃ、つくりましょう」という対応はできませんでした。料理をつくる時間、食べる時間は明確に決まっていて、そこに家族が集まってくるという方法でなければ成り立たなかったわけです。つまり、調理器具の不便さによって、密な人間関係が必然として生まれていたわけです。
これが現代になれば、たとえば、ファストフード店で複数の人が食事をしているという風景が象徴的ですが、その背景には、スイッチひとつで瞬間的に料理をつくることができる調理技術の進化があります。他人に左右されることなく、人々は自分のほしいものを自分のために、好きな時間に手に入れることができるようになりました。そして、隣りに座っている見知らぬ人と会話をすることもなく、誰もが孤立して食事をするようになります。こうして、便利になることで関係は省かれていくわけです。

そういう観点でまちを見直してみれば、昔は、互いに関係性を持ちながら、自分たちの暮らしを成り立たせていたということがわかります。たとえば、台風の通り道にあたる沖縄では、構造的に弱い木造住宅を台風から守るために各敷地の四方に防風林が植えられ、それが豊かな街並みをつくっていました。住宅が台風で壊れてしまうという不便さを補うことが、まち全体の環境を生みだしていたのです。ところが、沖縄では70年代に入ると住宅のコンクリート化が進み、台風に直撃されても住まいは壊れなくなります。その結果、住まいの周りに樹木を植えることはなくなってしまいました。

こうしたことの結果として、ひとは家の中に閉じこもり、外との関係は失われて、互いに協力するという人間関係も希薄になっていきます。テクノロジーの進化によって、便利さが増大する一方で、関係性は省略されていくということが、沖縄だけではなく全国いたるところで進んできたのです。逆にいうと、関係性を省くことが便利さなのだともいえます。昔は、他者との関係が煩わしいなんてことは言ってられませんでした。ところが、他者との関係を省略しても暮らすことはできるようになってきましたから、結果として、コミュニティが失われ、他者との関係は煩わしいという意識が生まれる。そうした社会的な構造があるのです。