08.『地蔵とリビドー』

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「うお、カッコ良いじゃん!」
ドキュメンタリー映画というより、クールなアートビデオやミュージックビデオを見ているような刺激的な感覚。「障害者施設を描いたドキュメンタリー映画」という予備知識からくる勝手なイメージを気持ちよく裏切ってくれる。すると、チョイ悪ファッションモンスターみたいな胡散臭いオヤジが登場したので、しげしげと見てしまった。「…施設長?」

障害者施設『やまなみ工房』は、知的障害や精神疾患を持った人々に生産性のある作業を要求しない。粘土や絵の具や刺繍セットなどの道具を用意して、彼らに好きに触らせる。彼らは日がな、誰かに理解を求めることなく自分の衝動でアートを作る。中にはひたすら同じモチーフにこだわり、まるで原始宗教の祈りのように、飽きることなく作り続ける者もいる。その単調とも言える作業に我慢の気配すらなく自然体で寄り添う山下完和(マサト)施設長の個性的なファッションもまた、「障害者施設の職員」というイメージを裏切る奇抜さなのだ。

この人の感じ、僕の生活圏だと大阪の老舗ライブハウス「ベアーズ」やアメリカ村の小さなギャラリーやウラなんば辺りの飲み屋にいる人の空気と似ている。常識からは外れたような奇抜さは「自分らしさの自由」であり、他者の独自な芸術性に対しても敬意を払う知性を持つ。
 
この映画にも「こうでなければならない」という押し付けが一つもない。「障害者のアートだから」と同情の目を向けたり、社会の関心を訴えてる訳ではない。鋭利で迫真の映像は対象への敬意の現れである。そこに映るのは「個としての芸術家」だ。

「暮らし」を要素に分けると一般的には「衣」「食」「住」に分かれる。服を着て、ご飯を食べて、休む家がある。そこに「働」「育」を加えてもいいかもしれない。労働をし、子孫を育てる。生死に関わる人間の営みの基本要素。これは今のところまだ、昔からさほど変わらない。

では「芸術」は「暮らし」にどれほど必要だろう。不景気になると行政が予算から率先して削るのが「芸術」分野だ。生産性がない、つまり生き死にに関わらないとされているせいだ。しかし想像できるだろうか? 音楽が鳴ってない世の中が。周りに絵や写真や広告の無い生活が。近代以前と違い、私たちは芸術の無い暮らしなど味気ないと思っている。心が発達した現代人にとって「芸術」も「暮らし」から外せない要素だ。

やまなみ工房の彼らは、芸術とともに暮らしている。とても現代的な、豊かな暮らしをしている。映画の終盤、スタジオでスタイリストもついて、ファッショナブルに彼らの写真を撮る。「知的障害や精神疾患を持った人も着飾れば同じ人間ですよ!」というような傲慢さなど微塵もない。そこには障害を持つアーティストとデザイナーやカメラマンという「個」と「個」のぶつかり合いがあり、まさにこの映画のスタンスがそこに込められている。
社会へ関心を訴えるドキュメンタリー映画ももちろん立派だ。でもこれは、ドイツの映画作家ヴィム・ヴェンダースの傑作『都市とのモードのビデオノート』のような、清々しいまでに「暮らしとアートに関するビデオノート」だった。

INFO
『地蔵とリビドー』
監督:笠谷圭見 音楽:イガキアキコ 
出演:向井秀徳ほか
シアターセブン(大阪・十三)にて12月8日(土)~21日(金)、
京都シネマは12月1日(土)~14日(金)

西尾孔志
1974年大阪生まれ。2013年に『ソウル・フラワー・トレイン』で劇場映画デビュー。2014年『キッチンドライブ』、2016年『函館珈琲』の他、脚本作品に『#セルおつ』なども。OURS.では、カリグラシTVを担当。

*カリグラシTV
http://ours-magazine.jp/karigurashitv/akichi-1/
*インタビュー記事
http://ours-magazine.jp/borrowers/nishio-01/